角倉了以(すみのくらりょうい)[1554~1614]

京都の生まれ幼名は与七です。吉田光好(みつよし)が本名で、京都の商人でした。豊臣政権下で朱印状をもって海外との貿易(朱印船貿易)を行い利益を得ていました。大堰(おおい)川、富士川、高瀬川などの水路をつくりました。