山田顕義(やまだあきよし)1844~1892年

山口県萩市で生まれました。吉田松陰の最後の門下生と言われています。岩倉使節団の一員として各国の兵制を学び、東京鎮台司令長官、司法大臣など政府の柱となって活躍しました。明治法典を編纂しました。