清水次郎長(しみずのじろちょう)山本長五郎(やまもとちょうごろう)[1820~1893年]

清水区美濃輪に生まれ、米問屋の養子となりました。しかし、20歳の時家を出、侠客の道に入りました。刀の腕前も強かったのですがそれ以上に知恵者でもありました。また、義理人情に厚いことから多くの子分を従えるようになり、東海道ではその名を知らない者はいないと言われるほどになりました。明治になると社会活動を盛んに行うようになりました。山岡鉄舟との親交もあり、富士山麓の開墾や新田開発に努めました。日本が外国との貿易を始めると、若者に英語教育ができるように環境を整え、また、清水港の発展のため港湾整備をしました。