明治時代

 1868年、薩長出身者が明治天皇を中心とした国家を築きました。江戸は東京となり、西洋の学問、技術や文化を多く取り入れました。これを文明開化とよんでいます。政府は欧米がアフリカ・アジア諸国を植民地化する動きに対抗するため、急速な近代化を進め軍事力も高めていきました。この時代から一世一元の制となり、明治天皇の在位45年間を明治時代といいます。

秋山真之・眞之(あきやまさねゆき) [1868~1918年]

 松山藩士秋山久敬の子として愛媛県松山市に生まれました。日露戦争では第一艦隊兼連合艦隊参謀として日本海海戦の作戦を立て、勝利に導きました。 日本海海戦出撃時の「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」(遠くまで見通せるけれど波が高い-訓練をしてきた我軍には有利の意味)という電文は真之が考えたものと言われています。司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』では主人公として描かれています。

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秋山好古(あきやまよしふる)[1859~1930年]

松山藩士秋山久敬の子として愛媛県松山市に生まれました。師範学校を卒業し、大阪や名古屋で教壇にも立ちました。日清・日露戦争では騎兵隊を率いて戦いました。数々の戦績から「日本騎兵の父」と呼ばれました。朝鮮軍司令官、教育総監、軍事参議官などを歴任し、現在の松山北高等学校の校長になりました。

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アントニウス・フランシスカス・ボードウィン[1820~1885年]

オランダ陸軍に所属していましたが、鎖国中の日本に来し、蘭学や医学を広めました。
上野公園の地は江戸城の鬼門に当たりもともと寛永寺という大きな寺が建っていました。1868年7月に旧幕府軍の彰義隊と新政府軍がここで戦い寛永寺は全焼してしまいました。跡地をどのように利用するかを話し合っていたところ野の自然を守るため公園を造ることをボードウィンが提言したのです。新政府がこれを了承し上野恩賜公園ができました。

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ヨハニス(ヨハネス)・デ・レーケ[1842~ 1913年]

 オランダのゼーラント州コリンスプラートに生まれたデ・レーケは1873年、31歳の時、土木技師としてに明治政府の招きによって来日しました。愛知県と三重県境の木曽三川分流工事をはじめ全国の砂防堤や河川改修工事の指導や監修を行いました。

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ウイリアムエリオットグリフィス[1843~1928年]

アメリカ合衆国ペンシルベニア州の生まれで、明治4年に来日し、福井の明新館で化学や物理を教えました。廃藩置県後は東京に移り、大学南校で物理、化学を教えました。アメリカに帰国後、日本を紹介する書物を刊行しました。

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福沢諭吉(ふくざわゆきち)[1834~1901年]

 啓蒙思想家 、慶応義塾の創立者。 豊前国(現在の大分県)中津藩士の福澤百助の子として現在の大阪府大阪市福島区福島で生まれました。緒方洪庵の元で蘭学を学び、江戸で蘭学塾を開いた。1860年咸臨丸(かんりんまる)で渡米し、2年後、幕府遣欧使節団としてフランス、イギリスなど6か国を訪問しました。この洋行経験がもとで慶應義塾を創立することとなり、「天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくつくらずと云えり」という『学問のすゝめ』や『文明論之概略』『福翁自伝』 など多くの著作があります。

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井上馨(いのうえかおる)[1836~1915年]

 長州藩士の井上五郎三郎光亨の子として周防国湯田村(現在の山口県山口市)に生まれました。 長州藩士として尊皇攘夷運動に加わりました。渡英していたとき四か国連合艦隊の下関砲撃を知って帰国、倒幕運動に加わりました。明治維新後は外務卿となり、条約改正に向けた欧化政策の一環として鹿鳴館を建設しました。その後、外務大臣、農商務大臣、内務大臣、大蔵大臣を歴任しています。

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板垣退助(いたがきたいすけ)[1837~1919年]

 土佐藩士の乾栄六正成(いぬいえいろくまさなり)の子として生まれました。藩主山内容堂に仕え、藩では重役に就いていました。幕末は討幕運動に加わり、維新後は後藤象二郎らと愛国公党を組織して民撰議院設立建白書を提出しました。自由民権運動を進め、1881年に自由党の総理に就任しました。岐阜で演説中に暴漢に襲われ「板垣死すとも自由は死せず」と言ったとされていますが、事実ではないようです。

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伊藤博文(いとうひろぶみ)[1841~1909年]

 長州藩出身の政治家。現在の山口県光市の農家の子として生まれました。伊藤俊輔(しゅんすけ)として龍馬伝にも登場しました。吉田松陰(よしだしょういん)の松下村塾(しょうかそんじゅく)で学び、尊王攘夷運動に加わりました。 1885年、初代内閣総理大臣となり、大日本帝国憲法を制定しました。

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岩崎弥太郎(いわさきやたろう)[1834~1885年]

高知県安芸市で生まれた三菱財閥の創設者です。長崎では外国との貿易利益を得、で大阪で土佐商会を運営し、後に私営の郵便汽船三菱会社として海運業を発展させました。

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楫取美和子(かとりみわこ)・美和・杉文(すぎふみ)[1843~1921年]

吉田松陰の妹として松下村塾に出入りする志士たちとの交流があり、その一人久坂玄瑞と結婚しました。久坂が新政府軍と戦い自害すると、義兄である小田村伊之助を助けて働きました。姉が病弱で亡くなった後、群馬県令となった楫取素彦(小田村伊之助)の妻となりました。

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楫取素彦(かとり もとひこ)・小田村伊之助[1829~1912年]

山口県萩市で生まれました。小田村家の養子となり小田村伊之助(おだむら いのすけ)を名のり、吉田松陰や久坂玄随ら松下村塾の塾生らと深い関係がありました。 最初の妻は吉田松陰の妹の杉寿(久子)、後に松陰の妹杉文(美和子)と再婚しました。維新後群馬県の県令となり養蚕・製糸業に力を入れ富岡製糸場の発展や教育振興に尽力しました。名県令と称えられています。

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楫取素彦(かとりもとひこ)・美和子(みわこ)

楫取素彦
山口県萩市で生まれました。小田村家の養子となり小田村伊之助(おだむら いのすけ)を名のり、吉田松陰や久坂玄随ら松下村塾の塾生らと深い関係がありました。 最初の妻は吉田松陰の妹の杉寿(久子)、後に松陰の妹杉文(美和子)と再婚しました。維新後群馬県の県令となり養蚕・製糸業に力を入れ富岡製糸場の発展や教育振興に尽力しました。名県令と称えられています。
楫取美和子
吉田松陰の妹として松下村塾に出入りする志士たちとの交流があり、その一人久坂玄瑞と結婚しました。久坂が新政府軍と戦い自害すると、義兄である小田村伊之助を助けて働きました。姉が病弱で亡くなった後、群馬県令となった楫取素彦(小田村伊之助)の妻となりました。

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桂 太郎(かつら たろう)[1848~1913年]

 長州藩士桂与一右衛門信繁の子として生まれました。維新後にドイツに留学して軍制について学びました。帰国後は軍人として陸軍にドイツ式兵制をとりいれ,また、政治家としても明治から大正時代にかけて活躍しました。

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河田小龍(かわだしょうりょう・しょうりゅう)[18241898年]

高知県で生まれ、本名は維鶴(これたず)です。絵師として二条城襖絵修復にたずさわっていましたが、土佐藩の命によりジョン万次郎帰国後の聴聞と生活支援を担当し、これにより欧米と日本との大きな違いを意識するようになりました。万次郎の語りを本にまとめ幕府に届けられました。また、親交のあった坂本龍馬に諸外国との貿易が日本を変えることを説きました。

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木戸孝允 (きど たかよし)・桂小五郎(かつらこごろう)[1833~1877]

長州山口県萩の出身で吉田松陰の門下生となりました。幕末の争乱時、西郷隆盛と薩長同盟を結び討幕運動を進めました。新政府の中心人物として「五箇条の誓文」「版籍奉還」や「廃藩置県」に取り組みました。

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小泉八雲(こいずみやぐも)・パトリック・ラフカディオ・ハーン[1850~1904年]

パトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn) はギリシャで生まれ、アメリカでジャーナリストとして働いていました。1890年通信員として来日して日本人の妻を持ち、日本国籍を取得して小泉八雲と名のりました。英語教師をする傍ら、日本文化を紹介する本を多く刊行し欧米に広めました。

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児島惟謙(こじまいけん これかた)[1837~1908年]

愛媛県宇和島市で生まれました。、坂本龍馬らと交流があり勤王派として活動していました。明治時代の最高裁判所となる大審院(だいしんいん)の裁判官となり大津でロシア皇太子が切り付けられた大津事件を裁きました。政治的介入を排除し司法権の独立を守った裁判でした。

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小松宮彰仁親王(こまつのみや あきひとしんのう)[1846~1903年]

伏見宮邦家親王の王子として生まれました。皇族でしたが軍人として陸軍大将や征清大総督を歴任しました。

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正岡子規(まさおかしき)[1867~1902年]

愛媛県松山市で生まれ、幼名は処之助(ところのすけ)から升(のぼる)、本名(つねのり)は常規です。自然のものをありのままに表現する写生論を展開し、俳誌「ホトトギス」でこれまでの短歌・俳句を改革しようとしました。

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明治天皇(めいじてんのう)[在位1867~1912年]

 1867年に15歳で第122代天皇となりました。このときより天皇一代に一つの年号を定める一世一元の制(いっせいいちげんのせい)になりました。 諱は睦仁(むつひと)。孝明(こうめい)天皇の子として生まれ、祐宮(さちのみや)と名付けられました。 明治維新という激動の時代に生き、軍事政策では政府と対立することもありました。また、明治天皇は国民に近づいた天皇としても知られ、日本全国にでかけ民衆の生活を見て回りました。この足跡といえる記念碑を全国各地で見ることができます。

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森鷗外(もりおうがい)[1862~1922年]

 本名は林太郎。文学者。子どもの頃にドイツ語を学び、東京大学医学部を卒業後は陸軍省の軍医となりました。その後ドイツに留学して医学を学ぶとともに多くの文学作品に出会いました。日本に戻って創作活動に入り、『舞姫』や『うたかたの記』などを発表しました。

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陸奥宗光(むつむねみつ)[1844~1897年]

 和歌山藩士伊達宗広(だてむねひろ)の子として生まれました。 尊皇攘夷運動に加わり、坂本龍馬とともに海軍操練所に入りました。その後、龍馬とともに亀山(かめやま)社中を設立、そして、海援隊に所属しました。 伊藤博文内閣の下で外務大臣となり、イギリスとの間で条約改正交渉を進めました。そして、1894年日英通商航海条約に調印し、治外法権の撤廃に成功しました。

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伊藤博文・陸奥宗光

伊藤博文
 長州藩出身の政治家。現在の山口県光市の農家の子として生まれました。伊藤俊輔(しゅんすけ)として龍馬伝にも登場しました。吉田松陰(よしだしょういん)の松下村塾(しょうかそんじゅく)で学び、尊王攘夷運動に加わりました。 1885年、初代内閣総理大臣となり、大日本帝国憲法を制定しました。
陸奥宗光
 和歌山藩士伊達宗広(だてむねひろ)の子として生まれました。 尊皇攘夷運動に加わり、坂本龍馬とともに海軍操練所に入りました。その後、龍馬とともに亀山(かめやま)社中を設立、そして、海援隊に所属しました。 伊藤博文内閣の下で外務大臣となり、イギリスとの間で条約改正交渉を進めました。そして、1894年日英通商航海条約に調印し、治外法権の撤廃に成功しました。

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夏目 漱石(なつめ そうせき)[1867~1916]

本名は金之助、東京都新宿区牛込で生まれた小説家です。東京や愛媛県で教師をしましたが辞職して新聞社の専属作家となりました。則天去私(そくてんきょし)を理想の生き方とし「坊っちゃん」「草枕」「三四郎」「吾輩は猫である」「こころ」など多くの作品を残しました。

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野口英世(のぐち ひでよ)[1876~1928年]

福島県猪苗代町で生まれ、幼名は清作です。1歳の時に左手を火傷したため農作業が困難となり、母の勧めで学問を志しました。左手の手術をした会津の医師との出会いから医師になることを決意しました。医師免許を取得して伝染病研究所などに勤めた後、アメリカのロックフェラー医学研究所に移りました。黄熱病病の研究でアフリカに行き自ら病気となり死去しました。

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野村靖(のむらやすし)・野村和作(のむらわさく)[1842~1909年]

山口県萩市で生まれました。松下村塾で学び尊王攘夷運動に参加します。維新後岩倉使節団としてヨーロッパに渡り高い技術と文化を視察して帰国しました。伊藤内閣の内務大臣や松方内閣の逓信大臣など政府の重要な職に就いています。

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岡倉 天心(おかくら てんしん)[1863~1913年]

横浜で生まれました。本名は角蔵(覚三) 東京大学でアメリカ人教師のフェノロサに学び、卒業後もフェノロサの日本美術研究を手伝ったことは日本の美術発展に尽くすもととなりました。東京美術学校(現在の東京芸術大学)の学長となりました。

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大久保利通(おおくぼとしみち)[1830~1878年]

大久保一蔵 鹿児島県で生まれました。尊王攘夷運動に傾倒し行動を起こしますが断念、島津久光に登用され公武合体運動に転向します。その後、西郷隆盛とともに討幕運動に参加し、明治新政府では参議、大蔵卿、内務卿と歴任し、版籍奉還や廃藩置県を断行しました。

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大隈重信(おおくましげのぶ)[1838~1922年]

佐賀県で生まれました。幼名は八太郎といいます。長崎でアメリカ人から英学を学び西欧の広い世界に目を向けるようになりました。明治新政府で参与職、外国官副知事、大蔵卿、参議などを歴任し地租改正や殖産興業を推し進めました。政党内閣を目指し立憲改進党、板垣退助と憲政党を組織すると首相となり、第一次世界大戦に参戦しました。東京専門学校(後の早稲田大学)を創立しました。

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大山巌・巖(おおやまいわお)[1842~1916年]

鹿児島で生まれ、幼名は岩次郎・弥助です。西郷隆盛の従弟にあたり、倒幕運動に参加しました。明治政府の命によりヨーロッパに留学し近代軍隊を学んで帰国し初代陸軍大臣となりました。日清戦争では第2軍司令官、日露戦争では総司令官を務めました。

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島津久光(しまづひさみつ)[1817~1887年]

鹿児島で生まれました。島津忠教(ただゆき)が名で久光は後につけた名です。薩摩藩の第11代藩主島津斉彬の異母弟、第12代藩主忠徳の国父として斉彬後の藩政において実質的な権力を有していました。新政府では左大臣となりますが武士の身なり・帯刀をやめませんでした。

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品川弥二郎(しながわやじろう)1843~1900年

山口県萩市で生まれました。吉田松陰の門下生で高杉晋作らとともに尊王攘夷運動に奔走しました。明治新政府の下ではドイツやイギリスへの留学経験を生かし重要な役を歴任しました。

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乃木希典(のぎまれすけ[1849~1912年]

長州藩士の子として江戸で生まれました。明治新政府でドイツに留学し軍事を学び、帰国して西南戦争や日清戦争に参加しました。日露戦争では第三軍司令官として旅順攻撃を指揮しました。1912年、明治天皇が崩御すると殉死しました。

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東郷平八郎(とうごうへいはちろう)[1848~1934年]

鹿児島県で生まれた海軍の軍人です。日露戦争で連合艦隊司令長官となり、日本海海戦でバルチック艦隊を全滅しました。

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坪内逍遥(つぼうちしょうよう)[1859~1935年]

岐阜県美濃加茂市で生まれました。本名は坪内雄蔵(つぼうちゆうぞう)です。明治時代の小説家で「小説神髄」「当世書生気質」などの作品を書きました。

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山田顕義(やまだあきよし)1844~1892年

山口県萩市で生まれました。吉田松陰の最後の門下生と言われています。岩倉使節団の一員として各国の兵制を学び、東京鎮台司令長官、司法大臣など政府の柱となって活躍しました。明治法典を編纂しました。

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山縣有朋・山県有朋(やまがたありとも)[1838~1922年]

 長州藩士山県有稔の子として生まれました。松下村塾で吉田松陰から学び、尊皇攘夷運動に加わりました。第3・9代の内閣総理大臣など明治政府の重要な職に就き、特に軍隊の強化に尽力しました。

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豊田佐吉(とよださきち)[1867~1930年]

静岡県湖西市で生まれました。織機の改良に取り組み、木製人力織機や木鉄混製動力織機の発明をしました。その後、豊田式織機株式会社の創立をし長男喜一郎とともに自動織機の研究を行いました。

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アントニウス・フランシスカス・ボードウィン[1820~1885年]

オランダ陸軍に所属していましたが、鎖国中の日本に来し、蘭学や医学を広めました。上野恩賜公園は上野の自然を守るためボードウィンが提言してつくられたものです。

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児島惟謙(こじまいけん・これかた)[1837~1908年]

愛媛県宇和島市で生まれました。、坂本龍馬らと交流があり勤王派として活動していました。明治時代の最高裁判所となる大審院(だいしんいん)の裁判官となり大津でロシア皇太子が切り付けられた大津事件を裁きました。政治的介入を排除し司法権の独立を守った裁判でした。

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与謝野晶子 與謝野晶子(よさの あきこ)[1878~1942年]

大阪堺で生まれた歌人です。代表作な歌集に「みだれ髪」や日露戦争に従軍した弟を思って作った「君死にたまふことなかれ」などがあります。

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五代友厚(ごだいともあつ)[1836~1885年]

薩摩で生まれ、幼名は才助(徳助とも)です。長崎海軍伝習所で勝海舟、榎本武揚らと出会い、高度な西洋技術を取り入れるためイギリスに渡りました。明治政府の下、大阪で鉱山、製銅、鉄道、など多くの事業を手掛け、大阪商法会議所の会頭となりました。

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野口雨情(のぐちうじょう)[1882~1945年]

茨城県北茨城市で生まれ、名は英吉といいます。詩人、童謡作家です。「七つの子 」(か~らあす なぜなくのぉ・・・)「赤い靴」(赤い靴ぅはぁいてたぁ~女の子ぉ~) 「シャボン玉」(シャぁボン玉ぁ飛んだぁ~)など誰もが知っている多くの童謡を残しています。

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フローレンス・ナイチンゲール Florence Nightingale [1820~1910年]

イギリス人の両親をもち、旅行先のイタリアのフィレンツェで生まれました。両親はナイチンゲールにタリア語やラテン語、ギリシャ語をはじめとし様々な学問を学ばせまた。30歳の頃、看護婦となることを決心し、訓練所に入所しました。その後、クリミア戦争で負傷したり病菌なったりした人たちの看護をしました。このときの劣悪な環境での看護生活を回顧し本を刊行しました。

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琴陵宥常(ことおかひろつね)[1840~1892年]

琴陵宥常大人命(ことおかひろつねうしのみこと) 四国香川県の「こんぴらさん」で知られた金刀比羅宮(ことひらぐう)の宮司です。江戸時代から呼ばれていた「金光院金毘羅大権現(こんこういんこんぴらだいごんげん)」という寺院名を「金刀比羅宮」と言う神社名に改めました。1886年、イギリス船「ノルマントン号」が紀州沖で沈没する事故が起きました。イギリス人船員は無事助かりましたが、日本人は全員水死するという痛ましい事故でした。琴陵宥常は海上安全を祈願し、「大日本帝国水難救済会大旨」を作成しするとともに総理大臣黒田清隆に直接訴え、「大日本帝国水難救済会」を創設させました。

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チャールズ・ヘンリー・ダラス(Charles.Henry.Dallas)[1841~1894年]

イギリスで生まれたダラスは貿易商として中国に渡り、後に日本にやってきました。米沢藩の藩校「興譲館(こうじょうかん)」に英語の講師として招かれました。この地で牛肉を食したところたいへんおいしく、任期を終了して横浜に戻ったとき米沢牛を友人らに振る舞いました。これが好評で、米沢牛を全国に広めることとなりました。

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楠木正隆(くすのきまさたか).[1838~1902年]

長崎県大村市の出身で明治5年から8年まで新潟県の県令となり新潟県の発展に尽くしました。白山神社に隣接した白山公園を整備し国立市民公園としました。その後東京府知事となりました。

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前島密(まえじまひそか)[1835~1919年]

新潟県上越市の豪農上野家の子として生まれ、幼名は房五郎といいます。江戸で医学や英語を学びました。幕臣の前島家に入り、明治新政府では官僚となりました。江戸時代からの飛脚制度を改める必要性を感じ、イギリスに渡り学びました。帰国後、駅逓頭となって近代郵便制度を築きました。「郵便」「郵便切手」「書状集箱(郵便ポスト)」など現在もこの制度が引き継がれ、「日本郵便の父」とよばれます。

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大島高任(おおしまたかとう)[1826~1901年]

盛岡の医者の子として生まれ、江戸で蘭方医学を学びましたが鉱山にも目を向けていました。それまでの大砲が砂鉄からの鋳造により作られていることを問題視し、釜石の鉱山で鉄鉱石が採掘されることを知り西洋式高炉を建造しました。そして、鉄鉱石を原料とする製鉄に成功しました。日本近代製鉄の父と呼ばれています。

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郵政創業期外務員の像(ゆうびんそうぎょうきのがいむいん)

明治時代の始め、郵便制度が発足した当時の配達員(「外務員」とよばれていました)の服装は、当時としては格好いいものでした。制服、制帽、かばん、これらは現在も形を変えて引き継がれています。他にも、夜間に使う携帯用の灯器、ラッパ、懐中時計そして非常時の拳銃も持っていたようです。

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渋沢栄一(しぶさわえいいち)[1840~1931年]

明治、大正時代の実業家です。現在の埼玉県で生まれ、幼名は栄二郎です。一橋慶喜将軍の幕臣となり、フランスへ渡航した際に優れた西欧の文化にふれました。明治政府の下、第一国立銀行の頭取や地方銀行の設立に力を入れたほか、ガス、鉄道、東京証券取引所、保険、ホテルなど多くの企業の設立にかかわりました。そのため、「日本資本主義の父」とも言われています。

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樋口一葉(ひぐちいちよう)[1872~1896年]

東京で生まれ、本名は樋口夏子(樋口奈津)です。明治時代を代表する女流作家で「たけくらべ」「一葉日記」などの作品を著しましたが、24歳の若さで病死しました。五千円札の肖像となっています。

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御木本幸吉(みきもとこうきち)[1858~1954年]

三重県鳥羽市で生まれました。真珠の養殖を研究し、幾多の苦難を乗り越え成功しました。御木本真珠店の創業者で「真珠王」と呼ばれています。

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フランソワ・レオンス・ヴェルニー(Francois Leonce Verny)[1837~1908年]

フランソワ・レオンス・ヴェルニーはフランス人技師で、日本で西洋式灯台の設計と建設を行いました。

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小村寿太郎(こむらじゅたろう)[1855~1911年]

小村壽太郎 宮崎市の下級武士の子として生まれました。明治政府が派遣する留学生としてアメリカのハーバード大学で法律を学び、帰国後は司法省に入りました。その後、外務省に移り、外務大臣の陸奥宗光と出会いました。第1次桂内閣で外務大臣となり日英同盟、その後ロシア帝国とポーツマス条約を結びました。また、第2次桂内閣の外務大臣として1911年不平等条約の改正(関税自主権回復)に成功しました。

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若山牧水(わかやまぼくすい)[1885~1928年]

明治・大正期の歌人です。旅をしながら多くの作品を著しました。現在の宮崎県日向市で医者の子として生まれました。名は若山繁 です。母の名と住んでいた家の周りの水の環境を愛し「牧水」と名乗りました。

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