縄文・弥生時代

<縄文時代>
 1万年以上前から紀元前3世紀頃まで、移住を繰り返し、狩猟、漁労生活をしていた時代から次第に稲作を始めた時代で、縄文土器を使っていました。
<弥生時代>
 紀元前4世紀~3世紀(西暦300年代)ごろまでの600年間、縄文時代後期から続く稲作が発展し、弥生土器を使っていた時代です。この時代の後期には邪馬台国の女王卑弥呼が「くに」をまとめて支配していました。

縄文人(じょうもんじん)

縄文土器を使い調理をし、狩猟、採集生活を続けていた人々です。日本人は南方から海を渡って、あるいは地続きとなっていた大陸からやってきたとされています。顔は彫りが深く、現在では沖縄や北海道の一部地域で見られる特徴に似ています。日本各地に縄文時代の集落の跡があります。

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卑弥呼(ひみこ)[生没年不明]

中国の歴史書「三国志」の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条(略して「魏志倭人伝」)に3世紀の日本には「卑弥呼」と言う名の女王が統治する「邪馬台国(邪馬壹国)」があったと書かれています。以前は男王が支配していましたが倭国内での争いが絶えず、卑弥呼がそれらを統治したとあります。鬼道(巫女的な儀式)で政治を行い、239年に中国の皇帝から「親魏倭王」の称号や金印,銅鏡を授かっています。邪馬台国の位置も卑弥呼の古墳も不明ですが、奈良県桜井市の箸墓古墳を卑弥呼の墓とする説があります。

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徐福(じょふく)[生没年不明]

 今から2200年前の秦の時代の中国の人です。徐福は始皇帝の命により、東方海上にある三神山に不老不死の薬を探しに出ました。そしてたどり着いたのが九州でした。日本で徐福の存在を証明する物は何も存在しませんが、鹿児島県,宮崎県,三重県熊野市,和歌山県新宮市,山梨県富士吉田市など日本の太平洋岸沿いのいくつかの地域に徐福伝説が存在します。徐福は大陸から製鉄や稲作などの技術や文化を伝えたとも言われています。(http://www.densetsu-tobira.com/jofuku/index.html)

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