奈良時代

 奈良県にある平城京で天皇を中心とする政治が行われていた時代です。聖武天皇が奈良に大仏・大仏殿を建立し、中央集権国家が完成しました。大仏造りには多くの労働力を必要としました。民衆のために仏教を説き働いていた行基の力があってこその一大事業でした。また、この時代は西洋・唐の文化が多く入り政治も変化してきました。

行基(ぎょうき)[668(677?)~749年]

大阪で生まれた行基は15歳で仏門に入り修行を積んだ後、近畿地方の各地に出向き民衆に仏教を説いて回りました。また、治水・架橋などの社会事業も行い民衆に慕われていました。その影響力から大仏の建立にも協力を求め、後に朝廷より「大僧正」の位を授けられています。

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吉備真備(きびのまきび)[695~775年]

岡山県倉敷市出身の吉備真備は遣唐使として中国に渡り中国の学問を学んで帰国しました。帰国後は政治の中心的な地位でもある右大臣になり、新しい知識を広めたり政治の改革に取り組んだりしました。

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大伴家持(おおとも の やかもち)[718~785年]

万葉歌人で万葉集を編纂(へんさん)した一人です。
ふりさけて三日月見れば一目見し人の眉引(まよびき)思ほゆるかも

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和気清麻呂(わけのきよまろ)[733~799年]

弓削道鏡が皇位につこうとした計画を暴いた人物です。和気清麻呂は称徳天皇の命により宇佐八幡宮の神託を確認し報告したところ、その内容が天皇の意に反していたことから怒り、清麻呂を「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」と改名させ流罪としました。後に復権し、桓武天皇朝の高官となり平安遷都に尽力しました。

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楊貴妃(ようきひ)[719~756年]

中国唐の時代の皇妃です。日本においては「クレオパトラ」「小野小町」とともに世界の三大美女と言われています。姓は楊、名は玉環で玄宗皇帝の寵愛を受けていました。安史の乱(あんしのらん)-安禄山の乱(あんろくざんのらん)の後、皇帝を惑わしたとして処刑されました。しかし、生死ははっきりせず、日本に逃げてきたという説があります。

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