室町時代

 後醍醐天皇を中心とした建武の新政は2年で幕を閉じ、代わって足利尊氏が京都で光明天皇をたてて朝廷(北朝)をつくり、実質的に政治の実権を握りました。しかし、後醍醐天皇も奈良県の吉野で朝廷(南朝)をつくり政治を行っていたのでこの時代を南北朝時代と言います。その後、足利義満が南北朝を統一し、京都室町で幕府政治を行いました。

足利尊氏(あしかがたかうじ)[1305~1358年]

元の名は足利高氏。現在の京都府綾部市で生まれたと言われています。室町幕府の初代征夷大将軍となりました。鎌倉幕府の悪政が続き、御家人たちの不満が高まっていることを確信した後醍醐天皇が幕府を打倒する計画を立てました。これに従った足利尊氏や新田義貞らが鎌倉幕府を滅亡させました。これが建武の中興(建武の新政)です。この時高氏から尊氏と改名しました。その後、後醍醐天皇との対立が起こり、新田義貞や楠木正成らを倒し、後醍醐天皇を京都から追放しました。そして、光明天皇を中心とする朝廷をおき(北朝、これに対して奈良吉野に逃れた後醍醐天皇も退位しなかったので南朝として存在していました。足利義満の時代に南北朝が統一されました。)、足利尊氏は京都で室町幕府を開きました。

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太田道灌(おおたどうかん)[1432~1486年]

それまでの常識に反し、平地に江戸城を築城した人です。

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大内弘世(おおうちひろよ)[1325~1380年]

山口県で活躍した南北朝時代の武将です。

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オヤケアカハチ(遠弥計赤蜂於屋計赤蜂・おやけあかはち)[不明~1500年]

沖縄県石垣島の大浜村を治めていた豪族で、琉球国の大軍と勇敢に戦いました。八重山の英雄と語り継がれています。

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観阿弥(かんあみ)([1333~1384年]

子の世阿弥とともに猿楽をもとにして能を大成させました。観世流の創始者です。

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雪舟(せっしゅう)[1420~1502年]

明の時代、中国に渡り仏教や絵画技法を学んで帰国した禅僧です。

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尹良親王(ゆきよししんのう)[1364~1424年]

後醍醐天皇の孫で南北朝が統一された後も吉野にとどまっていました。南朝再興を企んでいたが、失敗に終わりました。

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松平親氏(まつだいら ちかうじ)[生年不明~1394年]

公家の在原信盛・信重父子が開拓した愛知県豊田市の山間部(松平鄕)に、旅の僧徳阿弥がやってきて、信重の娘と結婚し家を継ぐこととなりました。この僧が松平太郎左衛門尉親氏と名乗り、徳川家康の先祖で、初代松平氏となる三河の武将となりました。

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蓮如(れんにょ)[1415~1499年]

浄土真宗を世に広めた僧で、蓮如上人(れんにょしょうにん)と呼ばれています。

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万里集九(ばんりしゅうく)[1428年~没年不明]

滋賀県で生まれました。京都東福寺永明院に入り臨済宗の僧となり、相国寺にて修行しました。1467年応仁の乱によって都が焼かれると近江に移り住みました。その後、美濃、尾張、三河、江戸へと移り、歌人として歌を詠んでいます。「静勝軒記」「梅花無尽蔵」などを書き表しています。

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王陽明(おうようめい)[1472~1529年]

王陽明 Wang Yang-ming
中国の浙江省で生まれました。明代の儒学者で、朱子学から離れ、知ることと行うことは分離できない一体のものとする「知行合一」を主とする陽明学を唱えました。日本では中江藤樹がこの教えを広めました。

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