堀尾金助(ほりおきんすけ)と母[1573~1590年]

木下藤吉郎が小田原征伐を行う際に、18歳だった金助は病の父に代わって叔父とともに戦に出かけました。しかし、、戦半ばで病死してしまいます。出陣の時、母が名古屋市の熱田区にあった裁断橋まで見送っていますが、子の供養にと壊れかけていた橋を修復しました。