豊臣秀頼(とよとみひでより)[1593~1615年]

豊臣秀吉と浅井長政の娘茶々(淀殿)との子で、秀吉が57歳のときに大阪で生まれました。徳川秀忠の娘千姫を妻としています。
前田利家が守り役となり、幼い頃から豊臣家の世継ぎとして育てられました。また徳川家康や毛利輝元らの大名に血判の誓書を出させて豊臣家に忠誠を誓わせましたが、秀吉の死後は徳川家康の力が増し、関ヶ原の戦いで西軍が大敗すると秀頼は一大名に落ちてしまいました。これを不満とする武士らが蜂起して大坂冬の陣が起こり、その後に起きた大坂の夏の陣で大坂城が落城、秀頼は母淀とともに自刃しました。これにより豊臣氏は滅亡しました。