小林虎三郎(こばやしとらさぶろう)[1828~1877年]

越後国の長岡藩士の子として生まれました。幼少期に病気のため左目を失明したと言われています。佐久間象山の門下生の一人で、吉田松蔭らとともに儒学、蘭学などを学びました。戊辰戦争(北越戦争)で敗れた長岡藩は減収となり藩士らの生活も困窮しました。これを見かねた越後の三根山藩(みねやまはん)が米を百俵寄贈しました。当時藩の大参事であった小林虎三郎はこれを藩士に配ることなく売却し、長岡のたてなおしのために学校(国漢学校)を設立することとしました。この話は「米百俵の精神」として後世にまで伝えられています。