大隈重信(おおくましげのぶ)[1838~1922年]

佐賀県で生まれました。幼名は八太郎といいます。長崎でアメリカ人から英学を学び西欧の広い世界に目を向けるようになりました。明治新政府で参与職、外国官副知事、大蔵卿、参議などを歴任し地租改正や殖産興業を推し進めました。政党内閣を目指し立憲改進党、板垣退助と憲政党を組織すると首相となり、第一次世界大戦に参戦しました。東京専門学校(後の早稲田大学)を創立しました。