南方熊楠(みなかたくまぐす)[1867~1941年]
和歌山市橋丁の金物商の6男として生まれました。子供のころから植物に興味を持ち、野山を駆け回っていたと伝えられています。日本を代表する博物学者、生物学者(菌類学等)です。 「熊楠」 という名が変わっていますが、南方家が進行していた和歌山県海南市にある藤白神社(熊野王子社)に大楠があり、名がつけられました。20代前半にアメリカに渡り菌類の研究に没頭しました。その後イギリスで研究を続け、日本に戻ってからは環境保護運動を起こし当時の政府に対抗しました。この結果、熊野古道が守られたと言われています。田辺市の天神崎は南方熊楠の意思を継承する地元の人たちの努力により自然が守られています。ここはナショナルトラスト運動の最初の地となっています。