行基(ぎょうき)[668(677?)~749年]大阪で生まれた行基は15歳で仏門に入り修行を積んだ後、近畿地方の各地に出向き民衆に仏教を説いて回りました。また、治水・架橋などの社会事業も行い民衆に慕われていました。その影響力から大仏の建立にも協力を求め、後に朝廷より「大僧正」の位を授けられています。 28 images |
吉備真備(きびのまきび)[695~775年]岡山県倉敷市出身の吉備真備は遣唐使として中国に渡り中国の学問を学んで帰国しました。帰国後は政治の中心的な地位でもある右大臣になり、新しい知識を広めたり政治の改革に取り組んだりしました。 28 images |
和気清麻呂(わけのきよまろ)[733~799年]弓削道鏡が皇位につこうとした計画を暴いた人物です。和気清麻呂は称徳天皇の命により宇佐八幡宮の神託を確認し報告したところ、その内容が天皇の意に反していたことから怒り、清麻呂を「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」と改名させ流罪としました。後に復権し、桓武天皇朝の高官となり平安遷都に尽力しました。 40 images |
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楊貴妃(ようきひ)[719~756年]中国唐の時代の皇妃です。日本においては「クレオパトラ」「小野小町」とともに世界の三大美女と言われています。姓は楊、名は玉環で玄宗皇帝の寵愛を受けていました。安史の乱(あんしのらん)-安禄山の乱(あんろくざんのらん)の後、皇帝を惑わしたとして処刑されました。しかし、生死ははっきりせず、日本に逃げてきたという説があります。 6 images |
源丞内(げんじょうない)[生没年不明]「養老の滝伝説」です。昔美濃国に源丞内という名の木こりが住んでいました。源丞内は山に登って薪をとってきては売るという仕事で、年老いた父親の面倒も見る親孝行者でした。暮らしはとても貧しく、父親の好きなお酒を買うこともできませんでした。その日もいつものように山に登った源丞内は岩から滑り落ちてしまいました。しばらくして辺りを見るとなんだかお酒のにおいがしてきました。よく見ると岩の間から山吹色の水が流れ出ており、なめてみるとお酒でした。腰のひょうたんに入れて家に持ち帰り父親に飲ませるととても元気になりました。この出来事は奈良の都に伝わり、元正天皇は「親孝行の心が神々に通じたのでしょう」と仰せになり、この地に行幸することとなりました。天皇がこの水を飲むと肌はなめらか、体の痛みも取れ「老いを養う若返りの水」と仰せになり、年号も養老となりました。 17 images |