聖徳太子・厩戸皇子(しょうとくたいし・うまやどのみこ)[574~622年]

用明天皇の皇子です。592年,推古天皇が豊浦宮(とゆらのみや)で即位しすると、甥(おい)の廐戸皇子(うまやどのみこ)が皇太子となりました。廐戸皇子は推古天皇の摂政となり、天皇中心の政治をめざし、遣隋使の派遣、冠位十二階や十七条憲法を制定しました。また,四天王寺・法隆寺などを建立するなど仏教を厚く信仰して政治を行いました。豊聡耳(とよとみみ)、上宮王(かみつみやおう)など別の呼び方もあります。(http://www.asuka-tobira.com/syotokutaishi/shotokutaishi.htm)