平田靱負(ひらたゆきえ)[1704~1755年]

薩摩藩の家老で愛知・三重県境の木曽三川分流工事を指揮しました。(宝暦治水)これは難工事で、薩摩藩の出費も多く殉職した武士も多数いたため、工事の完成後に責任をとって自害しました。