昔話・物語

 桃太郎、浦島太郎、金太郎たちを主人公とする物語が昔から語り継がれてきました。

安寿と厨子王(あんじゅとずしおう)

森鴎外が書いた歴史小説「山椒大夫(さんしょうだゆう)」に登場する姉弟です。姉が弟のために身を捨てて助ける悲話と成長した弟が母と再会する喜びが表現され、歌舞伎でも演じられました。

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泉小太郎(いずみこたろう)龍の子太郎モデル

長野県には龍から生まれた泉小太郎(いずみこたろう)伝説があります。また同県には、人と大蛇との間に生まれた小泉小太郎(こいずみこたろう)少年の伝説もあります。これらをまとめる試みがされ、松谷みよ子が創作童話「龍の子太郎」を書きました。

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金太郎・坂田金時・公時(きんたろう・さかたきんとき)

金太郎は坂田金時(公時)の幼名で実在の人物です。足柄山で少年時代を過ごしました。物語や歌として伝承されています。、足柄峠で源頼光と出会い、家来となって京に行きました。そして、四天王の一人となり、丹波の大江山に住んでいた酒呑童子を退治しました。(http://www.densetsu-tobira.com/kintaro/index.html)

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桃太郎(ももたろう)

桃から生まれた桃太郎として全国に伝えられています。岡山が最も有名ですが、それは大和朝廷が全国を支配していく課程で、都から派遣された吉備津彦命(きびつひこのみこと)が鉄の生産により大きな力を持っていた温羅(うら)という帰化人と争ったことを桃太郎の物語と結びつけ広めたことによるものです。(http://www.densetsu-tobira.com/momotaro/index.html)
昔々あるところに子供のいない老夫婦が住んでいました。ある時,お爺さんは山へ柴刈りに,お婆さんは川へ洗濯に行きました。お婆さんが洗濯をしていると,どんぶらこどんぶらこっこと川上からたくさんの桃が流れてきました。一つ拾って食べてみると大変うまかったのでお爺さんに持って帰ろうと考えました。ところがたくさんあってどれにしていいか迷ってしまったので,「うまい桃はこっちへ来い。苦い桃はあっちへ行け。」と声をかけたところ,大きくてうまそうな桃が寄ってきました。その桃を拾って家へ持ち帰りました。晩になってお爺さんが薪を背負って戻ってきたので,桃をまな板にのせて切ろうとしました。すると,桃が割れて中からかわいい男の子が生まれたので驚いてしまいました。これは大変と,湯を沸かして産湯で体を洗い,着物を着せました。二人は桃から生まれた子なので「桃太郎」と名付けました。1杯食べれば1杯,2杯食べれば2杯分,粥や魚をたくさん食べて桃太郎は大きく育ちました。また,1つ教えたら10覚えるほど賢くなり,また,たいへんな力持ちにもなりました。
 ある時,山に鬼がいて,村人たちを困らせていることを聞いた桃太郎はお爺さんお婆さんの前で両手をつき,鬼ヶ島へ鬼退治に行きたいと言いました。二人はまだ若いから鬼を退治することは無理だと言いましたが,「勝てる」と言って全く聞きません。仕方なくそれを許すことにしました。
 鬼退治に出かける日,お婆さんは桃太郎に新しい着物を着せ,袴をはかせて,頭にはちまきをまかせ,日本一と書かれた旗を持たせました。そして,吉備団子をたくさん作って腰にぶら下げてやりました。
 村のはずれで犬と出会いました。犬が桃太郎にどこに行くのかと尋ねるので,鬼退治に行くと答えると,腰に付けてる日本一の吉備団子を1つくれたら家来になってついて行くと言いました。そこで,1つ与えて家来にしました。(「もーもたろさん,ももたろさん/お腰に付けた吉備団子/一つわたしにくださいな。/あーげましょう,あげましょう/これから鬼の征伐について行くならあげましょう/行きましょう,行きましょう/あなたについてどこまでも/家来になって行きましょう。/・・・・」)山の方へ行くとキジがやってきたので,吉備団子を1つやって家来にしました。二人の家来を伴ってさらに山の奥へ進んでいくと,今度はサルがキャッキャッと叫びながらやってきたのでまた吉備団子を1つやって家来にしました。そして,犬に日本一の旗を持たせて鬼ヶ島へ向かいました。
 鬼ヶ島に着くとサルが大きな門をたたきました。すると中から鬼が出てきて何の用かと聞くので,桃太郎が「俺は日本一の桃太郎だ。鬼退治に来たから覚悟しろ」と言って刀を抜いて中に入っていきました。サルは長い槍,犬とキジは刀を持って桃太郎に続いて入って行きました。奥では鬼たちが宴会の最中で,桃太郎が来ても馬鹿にしていました。しかし,日本一の吉備団子を食べた桃太郎と家来たちですから,力は何十人力にもなっていました。瞬く間に鬼たちをやっつけてしまいました。大きな鬼が眼から涙を流しながら,「命ばかりは助けてくれ,もう悪いことはしません」と言うので,命を助けてやりました。そして,宝物はみんなやると言うので,車にのせて持ち帰ることにしました。
 村に帰るとお爺さんとお婆さんが大喜びで出迎えました。そして,この後みんなが幸せに暮らしました。

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酒呑童子(しゅてんどうじ)

兵庫県にある大江山を拠点としていた鬼の頭領で酒を好んでいたためこのように呼ばれていました。たびたび山を下りて京都に出没したり里人を苦しめていたため、源頼光と四天王(渡辺綱、坂田公時、碓井貞光、卜部季武)によって討伐されました。

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浦島太郎・浦嶋子(うらしまたろう・うらしまこ)

丹後国風土記や日本書紀などに実在の人物として紹介されています。(http://www.densetsu-tobira.com/urashima/index.html)
むかしむかし,あるところに,浦島太郎という若い漁師が母と二人で暮らしていました。ある日,浦島太郎が浜を歩いていると,子供たちが亀をいじめているのを見ました。かわいそうに思い,逃がしてやるように子供たちに言いましたが,いっこうにやめてはくれません。そこで,持っていたわずかばかりのお金を渡して亀を助けてやりました。それから数日経って,浦島太郎が海で釣りをしていると,亀が声をかけてきました。その亀は,先日助けてくれたお礼に浦島太郎を乗せて竜宮城に連れて行くと言います。浦島太郎はそこに行ってみたくなり,亀の背中にまたがりました。亀はしばらく海を泳ぐと,すぐに海の底に向かって潜りました。そして,あっという間に立派な門がある竜宮城に着きました。奧に案内されると乙姫様が出迎えてくれました。浦島太郎は歓待され,鯛やヒラメの舞いや踊りを見ながらたくさんのご馳走を食べてしばらく楽しい時を過ごしました。何日か過ぎると,故郷が恋しくなり,帰りたいと乙姫様に言いました。乙姫様はたいそう残念がっていましたが,浦島太郎の思いを理解して見送ることにしました。別れる時,乙姫様は「決して開けてはなりません」と言いながら玉手箱を土産にくれました。そして,来た時のように亀の背中に乗ると,あっという間に故郷の浜に着きました。しかし,そこは以前の村とは違っているように思えました。付近を歩いてみたのですが,誰も知っている者がいないのです。それどころか,自分の家があった辺りには草が生えていて,家もなく,母の姿も見えません。出会った人に尋ねても誰も母のことを知らないのです。だんだん不安になって,海岸に出て座っていた浦島太郎ですが,玉手箱のことを思い出しました。この箱を開けるともとに戻るかもしれないと思って,ふたを開けてしまいました。すると,箱の中から白い煙が出てきて,たちまち白髪白髭のお爺さんになってしまいました。

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笛吹権三郎(ふえふきごんざぶろう)

 今の三富村(旧上釜口村)というところに年老いた母と幸せに暮らす権三郎(ごんざぶろう)という若者がいました。権三郎は笛を吹くのが大好きで村人たちも聞き惚れていました。ある年の夏(1575年7月と伝えられる)、豪雨のため川(子酉[ねとり]川)が氾濫し、権三郎の家は流されてしまいました。濁流の中、権三郎は母と離れてしまいました。運良く権三郎は岸にたどり着き助かりましたが、母の姿は見えません。川が静まってから権三郎は毎日毎日母が好きだった笛を吹きながら母を探して歩きました。いつしか冬が過ぎ、春が来ました。それでも権三郎は独り母を探しました。しかし、笛の音が聞こえなくなりました。権三郎は川下の淵で深みにはまり死んでいるのが見つかりました。村人たちは手厚く葬ってやりました。この川は「笛吹川」と呼ばれるようになりました。

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源丞内(げんじょうない)[生没年不明]

「養老の滝伝説」です。昔美濃国に源丞内という名の木こりが住んでいました。源丞内は山に登って薪をとってきては売るという仕事で、年老いた父親の面倒も見る親孝行者でした。暮らしはとても貧しく、父親の好きなお酒を買うこともできませんでした。その日もいつものように山に登った源丞内は岩から滑り落ちてしまいました。しばらくして辺りを見るとなんだかお酒のにおいがしてきました。よく見ると岩の間から山吹色の水が流れ出ており、なめてみるとお酒でした。腰のひょうたんに入れて家に持ち帰り父親に飲ませるととても元気になりました。この出来事は奈良の都に伝わり、元正天皇は「親孝行の心が神々に通じたのでしょう」と仰せになり、この地に行幸することとなりました。天皇がこの水を飲むと肌はなめらか、体の痛みも取れ「老いを養う若返りの水」と仰せになり、年号も養老となりました。

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