斎  宮

 斎宮(さいくう)とは斎王の住居と斎王に仕えた役人・女官らがいる斎宮寮とで構成される。
 斎王は天皇が即位すると卜定(ぼくじょう:亀の甲羅や動物の骨などを使った占によって選出)によって未婚の内親王(天皇の皇女)から選ばれ,天皇の代わりに伊勢神宮に仕えた。斎王は天皇が譲位したり崩御したりするとその任が解かれ都に戻ることができるが,それまでは一般の社会とは隔絶される。
 斎王の仕事は伊勢神宮の祭りに参加することで,正月の神宮遙拝や三節祭(さんせつさい)とよばれる6月・12月の月次祭(つきなみのまつり)と9月の神嘗祭(かんなめのまつり)への奉仕が主であった。

 672年,大海人皇子は壬申の乱での戦勝を願って朝明郡(あさけのこおり)の迹太川(とほがわ)ほとりで伊勢神宮の方を向いて天照大神を拝んだという。見事大願成就し,これまで途絶えていた斎王の制度を確立させた。その一人目が大海人皇子と大田皇女(天智天皇の皇女)との子で大津皇子の実の姉でもある大来(大伯:おおく)皇女だった。伝承による斎王には垂仁天皇の時代の倭姫命(やまとひめのみこと)らがいるが,大来皇女は万葉集や藤原京跡で発見された木簡によって実在したと確認できる最古(初代)の斎王となっている。

 この制度は10世紀後半頃には衰退し,14世紀の南北朝の動乱期ごろなくなっている。(途中持統天皇の時代にも置かれてはいない)


伊勢神宮

 673年,記録に残る初代斎王の大来皇女は14歳で就任し,26歳までの13年間伊勢神宮に仕えた。

 伊勢神宮は正面からの写真撮影が禁止されているため横から屋根の一部を撮影した。

伊勢神宮(内宮)
斎王の森(三重県多気郡明和町)


 万葉集には謀反の罪で処刑されることになった弟大津皇子のことを歌った歌が残る。

姉との別れに来た弟を見送るときの歌
 ・ わが背子を大和へ遣るとさ夜深けて 暁露にわが立ち濡れし

二上山に葬られた弟を想う歌
 ・ うつしみの人にあるわれや明日よりは 二上山を弟世とわが見む

斎王の森 大来皇女の歌碑
奈良時代古道

 斎宮跡からは奈良時代の道跡が発掘された。

 平安時代の斎宮内は碁盤の目状に道ができていたらしい。

奈良時代古道

道路跡
斎宮跡の発掘 


斎宮跡の範囲は東西2㎞,南北700mの地域であり,国の史跡として指定されている。
 これまで,斎宮の森を中心として井戸跡,掘建柱建物跡,道などが発掘・復元されている。

 三重県多気郡明和町では現在も斎宮跡の発掘調査が進められ,全体を把握するには今後200年もの調査が必要とされるぐらい規模の大きな宮殿である。

掘建柱建物跡

井戸跡
水池土器製作遺跡 

斎宮跡からは多くの土器が出土するが,そのほとんどは土師器で,斎宮に住む人たちの生活や儀式などに使われたものである。また,それらは斎宮近くの工房で焼かれたものである。

水池土器製作遺跡
斎王御館之遺跡


 斎王の森から南へ約200m,「斎王御館之遺跡」を示す石碑が立つ。

「斎王御館之遺跡」
竹神社

祭神 は長白羽神、天照大御神、建速須佐之男命他。多気郡の豪族竹連氏の祖神を祀っている。

竹神社
斎宮歴史博物館


 平成11年10月,斎王や斎宮を紹介する博物館としてリニューアルオープンした。
 斎王の生活をビジュアルに紹介する展示室や,斎王・斎宮の歴史を音と映像で紹介する映像展示室などがある。
 また,この建物は国史跡斎宮跡の上に建っており,周辺も史跡公園として整備されている。

斎宮歴史博物館
斎宮・斎王などについての詳細な情報を得るには明和町ホームページをご覧ください。
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