日本の巨大古墳100

大仙陵古墳(info-mappingよりの転載)

世紀中頃から7世紀末にかけて,奈良・大阪や岡山・群馬など日本各地(北海道・東北一部・南西諸島を除く)で多くの古墳が築造されました。現在,ほとんどの古墳には木や草が茂り,山のように見えます。しかし,築造当時は石室に土が盛られ,その周りに石が葺(ふ)かれ,埴輪が並べて置かれた人工の山のようであったでしょう。その様子は復元された奈良県のナガレ山古墳などで見ることができます。
さが100mを超える巨大古墳も日本に多く存在します。それらのほとんどは前方後円墳で,中でも大仙陵古墳の墳丘長は486mもあります。(1辺が230mのエジプトのクフ王のピラミッドよりも大きい。)このような形,大きさの墓がただ一人の人間(=首長)のために造られており,築造のために人々を動かした力の大きさは強大なものであったと推測されます。また,弥生時代の各遺跡に見られる不統一形の墓とは大きく異なり,大きさの違いはありますが「前方後円(前方後方もある)」という一定のルールに従った設計で形が統一されています。これは何を意味するのでしょう。
墳の大きさから国の支配体系的な意味を考えることもできます。古代の日本は中央で権力を握っていた者の指示によって一定の法秩序の下に動いていたとします。古墳の大きさはその権力者の力の大きさを示すのです。大きな古墳は近畿地方に集中しています。大王と呼ばれる権力者を中心とした集団(=大和王権・大和政権)が存在したのです。
方後円墳と名付けたのは江戸時代の学者で蒲生君平です。「山陵志」という書物を著し,その中で使った言葉です。この時,古墳の前・後という位置関係を決めてしまったので,それ以降,そのままこの呼び方が使用されています。そして,宮内庁管轄の古墳では前方側を見るように鳥居が立っています。しかし,上の航空写真をじっと見ていると,武具の盾(たて)の形にも見えてきます。また,写真の向きを上下逆にして見ると,土器の広口壺(つぼ)の形にも見えてきます。実際,そんな形の土器が各地の古墳から出土しているではないでしょうか。「円は天を,方は地」,「あれは石枕の形」など諸説あり,何をもとにした形なのか特定はされていません。筆者はこれら古墳の形は女性の子宮と関係があるように思えてなりません。

このページの内容
神話に出てくる古墳
古墳の区分
古墳の大きさベスト10
石室(古墳内部)
100mを超える巨大古墳100
埴輪日本最大級の埴輪工場
整備された古墳
最古の古墳
古墳の形
九州の古墳
ちょっと珍しいかも

神話に出てくる古墳
 昔,昔,神の世界でのことです。イザナキノミコト(伊耶那岐命)とイザナミノミコト(伊耶那美命)は天の神たちから「海に漂う大地をしっかりと固めて形よくしなさい。」と命じられて下界に降りてきます。やがて,2柱の神は互いに結ばれ,淡路島を産み,四国を生み,続いて,隠岐島,筑紫島(九州),壱岐島,対馬,佐渡,本州島の8つの島を生みました。これらは大八島国(おおやしまのくに)といいます。その後6つの島を生むと,次に海の神を含めて10柱を生み,さらに,風の神や山の神などを生み続けます。しかし,火の神(ヒノカグツチ)を生んだ時,大やけどを負ってしまい,それがもとで命を落としてしまいました。。嘆き悲しんだイザナキノミコトはイザナミノミコトを出雲と伯耆(ほうき)の境にある比婆山(ひばやま)に葬りました。そして,イザナキノミコトは憎しみのあまり自分の子のヒノカグツチの首を剣で斬り落としてしまいました。。
 なかなか悲しみがおさまらないイザナキノミコトは黄泉(よみ)の国(死者の国)に出かけ,イザナミノミコトを連れ戻そうと考えました。黄泉の国の館で妻に会うと,イザナキノミコトは「まだやり残したことがあるから戻ってきてほしい。」と頼むのですが,イザナミノミコトは「残念です。もう既にこの国の食べ物を口に入れてしまったので帰ることが出来ません。」と言いました。しかし,「せっかく会いに来てくれたのだから黄泉の国の神にお願いしてみます。」と言いました。そして,「私がもどるまで絶対に私を見ないでください。」と言い残して館の中に入っていきました。
 しかし,いつまで待ってもイザナミノミコトは戻ってきません。我慢が出来なくなって,髪に挿していた櫛の歯を折って火を付け,館の奧に入っていきました。そこでイザナキノミコトは,ゴロゴロと音をたててウジ虫がはい回っている変わり果てた妻の姿を見てしまいました。。そして,今まさに8の雷神が生まれるところでした。
 あまりの恐ろしさにイザナキノミコトは大あわてで逃げ出した。それに気づいたイザナミノミコトは,「よくも私に恥をかかせたな。」と怒って追っ手を差し向けてイザナキノミコトを捕まえようとした。鬼のように恐ろしい女たちが追ってくるので,髪につけていた物を投げつけて時間稼ぎをしましたが,雷や黄泉の国の軍勢も加わって追ってきました。イザナキノミコトは十拳剣(とつかのつるぎ)を後ろ手に持って,それを振り回しながら逃げ,黄泉津比良坂(よもつひらさか)にたどりつきました。そこには桃の木があり,イザナキノミコトはその実を3つほど取って投げつけました。すると,追っ手はみな黄泉の国へ戻っていきました。イザナキノミコトは「人々が苦しい目にあって困っている時に助けてやってくれ。」と言って,桃に「オホカムヅミ」という名を授けました。
 今度はイザナミノミコトが追いかけてきました。イザナキノミコトは大きな岩で坂道をふさいで,それ以上現世には入ってこれないようにした。

写真 オブサン古墳(熊本県山鹿市)

 記紀に伝わる神話ですが,この坂道と道をふさいだ岩は古墳の羨望(せんどう−入り口から玄室までの道)と閉塞石(へいそくせき−入り口をふさぐ石)のことを伝えていると言います。イザナキノミコトは遺体を納めた玄室内のイザナミノミコトを見たのでしょう。記紀が書かれた頃の死生観として,あの世とは土の下にあるという意味を読み取ることができます。
下左の写真は熊本県山鹿市のオブサン古墳の 左−前室,右−玄室 の閉塞石です。右の図はオブサン古墳の現地古墳解説図に名称を書き加えました。このような形の石室を横穴式石室といい,それまでの竪穴式にかわり,古墳時代後期に多く見られるものです。


古墳の大きさベスト10

1位 大仙陵古墳・大山古墳(だいせんこふん:大阪府堺市大仙町)
 「仁徳天皇陵古墳」「大山古墳」「百舌鳥耳原中陵」などと呼ばれる日本最大の前方後円墳で,大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)−仁徳天皇の陵とされていますが,天皇の在位年代と測定でわかった築造年代にずれがあるため疑問視されています。古墳内からは須恵器の甕(かめ)や人物埴輪,馬形埴輪,水鳥形埴輪,犬形埴輪などが出土しています。右写真の外堀は明治時代に造られたものです。江戸時代にはこの古墳に自由に出入りでき,役人がここで酒宴を催したという記録も残っています。明治の自然災害によって前方部から石室・石棺が露出して,甲冑,刀剣,土器などが発見されたと言われます。埴輪が約2万個,葺石(ふきいし)約537万個が置かれていました。
墳丘長約486m 後円部径約249m 高さ約35m 前方部幅約305m 高さ約33m

古墳を造るのに要する日数・人数などの試算
築造年数 約15年8か月
作業人数 約680万人
費用    約800億円
@前方部
埴輪が置かれた3段の墳丘。
祭りや儀式が行われた場所でもあります。
A後円部
B造出部(つくりだしぶ)
祭りを行った場所と考えられています。
C周濠(しゅうごう)
三重の濠があります。
D陪塚(ばいちょう)
古墳の周囲に10以上あります。


大仙陵古墳(info-mapping)の画像に数字を記入して使用

2位 誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん:大阪府羽曳野市誉田)
墳丘長約425m 後円部径約256m 高さ約36m 前方部幅約330m 高さ約35m
体積が日本一の前方後円墳
応神天皇恵我藻伏崗陵(おうじんてんのうえがのもふしのおかのみささぎ)として誉田別尊(ほむたわけのみこと)−応神天皇の陵とされています。近くにある誉田八幡宮は応神天皇を祭神としています。

3位 石津ヶ丘古墳(履中陵古墳,ミサンザイ古墳)(いしづがおかこふん:大阪府堺市石津ケ丘)
墳丘長約360m 後円部径約208m 高さ約26m 前方部幅約237m 高さ約15m
百舌鳥(もず)古墳群の一つで去来穂別尊(いざほわけのみこと)−履中(りちゅう)天皇陵とされています。

4位 造山古墳(つくりやまこふん:岡山県岡山市新庄下)
墳丘長約350m 後円部径約224m 高さ約32.5m 前方部幅約230m 高さ約27m
吉備地方(岡山県)を治めていた首長の墓ではないかと言われています。

5位 河内大塚古墳(かわちおおつかこふん:大阪府松原市西大塚・羽曳野市南恵我之荘)
墳丘長約330m 後円部径約185m 高さ約20m 前方部幅約230m 高さ約4.5m
後円部には「ごぼ石」とよばれる横穴式石室の天井石が残る。古墳内に城が築かれたことがあり,また江戸時代には集落もあったが,大正14年に陵墓参考地となり,墳丘外に移転しました。

6位 見瀬丸山古墳(みせまるやまこふん:奈良県橿原市見瀬町・五条野町・大軽町)
墳丘長約310m 後円部径約162m 高さ約20m 前方部幅約211m 高さ約22m
奈良県最大の前方後円墳,欽明(きんめい)天皇陵ではないかと言われています。

7位 渋谷向山古墳(しぶたにむかいやまこふん:奈良県天理市渋谷町)
墳丘長約289m 後円部径約163m 高さ約28m 前方部幅約153m 高さ約21m
大足彦忍代別尊(おおたらしひこおしろわけのみこと)−景行天皇は日本武尊(やまとたけるのみこと)の父。

8位 土師ニサンザイ古墳(はぜにさんざいこふん:大阪府堺市百舌鳥西之町)
墳丘長288m 後円部径約156m 高さ約24m 前方部幅約226m 高さ約22.5m
百舌鳥古墳群の南東端にある形が整った古墳で,くびれた部分の両側に造出しがあります。

9位 作山古墳(つくりやまこふん:岡山県総社市三須)
墳丘長約278m 後円部径約174m 高さ約24m 前方部幅約174m 高さ約23m
独立した小丘陵を削り,整形・加工したもので,一部に後世の改変をうけているらしい。外濠がなく,畿内の古墳とは異なっています。(4位の造山古墳と同じ岡山県にあるが,字に注意)
 
9位 仲ツ山古墳(なかつやまこふん:大阪府藤井寺市沢田)
墳丘長約286m 後円部径約168m 高さ約26m 前方部幅約188m 高さ約23m
応神天皇の皇后で仁徳天皇の母の仲姫命(なかつひめのみこと)の陵とされています。
 
10位 箸墓古墳(はしはかこふん:奈良県桜井市箸中)
墳丘長約280m 後円部径約160m 高さ約30m 前方部幅約130m 高さ約16m
3世紀に造られた前方後円墳。倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓とされているがこれが卑弥呼の墓とする説もあります。日本書紀には「日中は人がつくり,夜は神がつくった」と記載されています。

古墳の区分
区分 年代 地域 石室 古墳の形など 副葬品
前期古墳 3〜4世紀中頃 畿内中心 竪穴式石室 ・大きな前方後円墳が西日本を中心に造られる。円筒埴輪が古墳の周りに置かれました。 鉄製の農具や武器,玉や鏡などが出土する。特に三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)などの銅鏡が多い。
中期古墳 4末〜5世紀 畿内・全国 竪穴式石室
横穴式石室
・円筒埴輪のほか,家,人,動物などの形土で作って焼いた形象埴輪が見られます。 鉄製の農具や武器・武具,玉や鏡,馬具などが出土する。
後期古墳 6〜7世紀 全国 横穴式石室が一般化する ・前方後円墳は造られましたが,全国的には減少します。
・小型古墳が増加します。
・九州では埴輪の代わりに石人・石馬が並べられました。装飾古墳も見られます。
・形象埴輪(家,人,動物)が増加します。
鏡,鉄製の武器,武具,馬具など及び須恵器(すえき)・土師器(はじき)などの土器が多く出土します。

主な古墳の形
古墳には,前方後円墳をはじめ,円墳,方墳など数種類の形があります。そこれらの形の由来については,壺,天と地など様々な説があります。はじめに書いたように,のように,筆者は女性の子宮と何らかの関係があると考えています。 
古墳の
種類
基本図形 実際の古墳 特徴
(右列の古墳図は現地の案内板を部分撮影)
前方後円墳
ぜんぽうこうえんふん

 「前方後円墳」という呼び方は,江戸時代に蒲生君平(がもうくんぺい)が天皇陵の調査を行い,それらをまとめた『山陵史』の中で初めて用いられた用語です。角張った方を前としていますが,実際は不明です。これまでの多くの発掘からはっきりしているのは,円部に石室などの施設があることです。方部と円部が接合する部分付近の左右または片方に造り出しと呼ばれる突出部が存在する古墳があります。この役目ははっきりしませんが,何らかの祭祀を行っていたと考えられています。
 前方後円墳の中でも最大の古墳は,墳丘長が500m近い大仙陵古墳で大阪府堺市にあります。全国で約6000もの前方後円墳がありますが,200m近い,あるいはそれ以上の大きな古墳は奈良・大阪に集まっています。このことから,巨大な支配力を持った大和政権が近畿地方にあったことがわかります。さきたま古墳群など地方にも大きな古墳が存在しますが,これらの築造年代や出土品などから考えると,大和政権とのつながりがあったことがわかります。
 前方後円墳は日本独特の形で,古墳と言えば「前方後円墳」と言うくらい最もよく知られた名前です。このような形の古墳が朝鮮半島にもあり,日本独自のものではないのではないかという説があります。実祭に韓国南部に存在するからです。しかし,発掘調査の結果,5・6世紀頃の築造と判明しました。つまり,日本から伝わったと言えるのです。


造り出しあり

断夫山(だんぷさん)古墳
(愛知県名古屋市熱田区)

古墳の代表的な形
大型墳が多い

白鳥陵古墳(はくちょうりょうこふん)
(大阪府羽曳野市白鳥)

この形は近畿地方に多い
柄鏡形類型前方後円墳(柄鏡式古墳)
えかがみこふん
前方後円墳ですが,前方部が長いのが特徴です。


西都原古墳群 第13号墳
(宮崎県西都市 )

前方後円墳と似ているが前方部の幅が狭い
大和地方には見られない独特の形
解説図は同型の100号墳
帆立貝式古墳
ほたてがいしきこふん
前方後円墳ですが,前方部が短いのが特徴です。ただ,後方部は造出しがついた円墳とも考えられています。


大谷古墳
(京都府中郡大宮町)

前方後円墳の前方部が短い
前方後方墳
ぜんぽうこうほうふん
古墳時代の前期に見られる古墳で,前方後円墳より数が少ないです。中部〜関東地方でよく見られる形です。


山代二子塚古墳 後方部
(島根県松江市山代町)

前方後円墳の後円部が方形になっている

柳田布尾山古墳
(富山県氷見市柳田字布尾山)

日本海側では最大の前方後方墳
円   墳
えんぷん
墳丘を高くした古墳で,被葬者の力の大きさによって,その大きさや墳丘周りの敷石に違いが見られます。
全国でもっともよく見られる古墳の形です。


久保田山古墳
(滋賀県蒲生郡蒲生町川合)

全国で見られる
いくつかが集まって古墳群を
形成していることが多い

オブサン古墳
(熊本県山鹿市城字西福寺)

突堤付き円墳
方  墳
ほうふん


大庭鶏塚古墳(おおばにわとりづかこふん)
(島根県松江市)

方墳は古墳時代の後期に見られる

雨乞山古墳
(滋賀県東近江市蒲生町)

古墳の南北それぞれに造り出し
がある珍しい方墳
双方中円墳
そうほうちゅうえんふん


櫛山古墳(くしやまこふん)
(奈良県天理市柳本町)

円墳の左右に方形の突出部がある
八角墳
はちかくふん


檜隈大内陵(天武・持統合葬陵)
(奈良県明日香村)

山科御廟野古墳(天智天皇陵)など
大王クラスの墓で見られ,数が限られる
四隅突出墳
よすみとっしゅつふん
島根県から富山県にかけての日本海側に見られる独特の形です。墳丘は低く,
四隅が突き出しています。この突き出しの部分と古墳の輪郭に敷石が見られます。




妻木晩田遺跡(むぎばんだいせき)
(鳥取県大山町妻木)
この遺跡は鳥取県にある日本最大の弥生遺跡

方墳の四隅が突出している特異な形
六角墳
ろっかくふん
双円墳
そうえんふん


全国でも数少ない


円墳が二つくっついている

周壕(濠:しゅうごう)・周堀(しゅうぼり)
古墳の周りに溝が造られたものが多くあります。この溝のことを周壕または周堀といいます。現在見ることができる古墳の周りには水が入った堀と入っていない堀(=空堀)があります。堀は人が容易に入らぬよう墓域と他を区別するために造られたと考えられますが,造られた当時から入っていたか,あるいは後の時代に農業用として水を貯めておくために転用されたかは不明です。
大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)
、大仙古墳・大山古墳   
大阪府堺市堺区大仙町

古墳の周りに水を貯えた三重の濠が囲んでいます。
渋谷向山古墳(しぶたにむこうやまこふん)
奈良県天理市渋谷町

景行天皇陵と指定されている古墳で,この周りに周濠がある。歴史書では水が貯えられた溝を「周濠」とし,水がない溝を「周壕」と記している。関東の古墳では「周堀」と呼ぶことが多い。

峯ヶ塚古墳 ( みねがづかこふん )  
大阪府羽曳野市軽里

古市古墳群に属する前方後円墳で,墳丘の周囲には,現在はため池となっている幅18mの内濠(うちぼり)があり,さらに外濠がある二重濠がありました。
   石舞台古墳 (いしぶたいこふん) 
奈良県明日香村

盛り土がなくなり,横穴石室が露出している大変有名な古墳です。古墳の周りに墳丘の周りに幅約6〜8mメートルの空堀がめぐっています。
   断夫山古墳(だんぷさん・だんぷやまこふん)
愛知県名古屋市熱田区

東海地方最大の前方後円墳で尾張国を治めていた尾張連草香(おわりのむらじくさか)の墓と推定されています。写真に見られる石積は戦後造られたものです。
   味美二子山古墳(あじよしふたごやまこふん) 
愛知県春日井市二子町

尾張連草香(おわりのむらじくさか)の娘で継体天皇に嫁いだ目子媛(めのこひめ)の墓ではないかと言われています。古墳の周りに周壕があり,雨が降ると水が貯まりますが,通常は空堀状態です。この古墳は断夫山古墳,継体天皇陵(今城塚古墳:いましろづかこふん大阪府高槻市郡家新町)と相似形です。




石室(古墳内部)
竪穴式の石室(たてあなしきせきしつ)
 古墳時代の前期から中期にかけて造られた古墳に見られます。
 墳丘の上から穴を縦に開けて埋葬施設を造ったような印象を受けるが,実際は違っているようです。
 
  
東之宮古墳(ひがしのみやこふん)愛知県犬山市
 多くは木棺が使われ,床面に固定するため粘土が敷かれました。  
 木棺の周りの壁は板石を積み上げて造ります。この板状の石にはベンガラと呼ばれる朱が塗られています。  
朱に塗られた壁を構成する板状の石
 天井に大きな石板を数枚を並べて石室を閉じ,その上に土を盛ります。  
出土した天井石
   2012年9月 東之宮古墳発掘現地説明会
横穴式の石室
 古墳時代中期の後半ごろから竪穴式の石室にかわり,横穴式石室をもつ古墳が造られました。
  小畑(こばたけ)古墳群は鳥取県鳥取市岩美町にある古墳時代後期の古墳です。6〜7世紀にこの地を支配していた首長の墓で,円墳や方墳でした。それらの多くから畿内で多く存在する家形石棺が見られ,中央と深い結びつきがあったと推測されます。復元された小畑3号墳から石室の様子がわかります。他の古墳と比較しながら石室内部の様子を見てみましょう。

小畑3号墳
土が取り除かれた状態で復元されています。

小畑1号墳
玄室の高さは高いところで3.5mあります。
 小畑3号墳は岩美町大谷字小平野にあったものを国道改築工事にともなって移築し復元した古墳です。一般的に,石室全体は右の写真のように土で覆われていますが,中にはそれらの土が流されて,石が出ているものもあります。展示施設の屋根の後ろの森が小畑1号墳。

石室

玄室にある家形石棺
石棺のふたが家の屋根の形をしています。
また,縄を掛ける突起もあります。
小畑3号墳の場合,石室の長さは12mで,家形石棺がおさめられていました。修復以前は天上石が崩れ,古墳全体の形もはっきりしなかったのですが,調査の結果,1辺が27mの方墳であったことがわかりました。

玄室(げんしつ)−石棺がおさめられている部屋
羨望(せんどう)−入り口から玄室までの道
閉塞石(へいそくせき)−入り口をふさぐ石

 この古墳は石棺が1つだけですが,玄室が広い古墳では複数の石棺を置くことができるのが横穴式石室の特徴です。

*3号墳の説明は岩美町教育委員会による古墳の解説に基づく。
巨大な横穴式石室

 石室の大きさはいろいろで,蘇我馬子の墓とされている石舞台古墳(奈良県明日香村)は玄室の高さが7.7mもある巨大古墳です。2008年春,石舞台古墳よりも大きな横穴式石室を持つ古墳が公開されました。6世紀に築造されたと考えられる明日香村真弓の真弓鑵子(かんす)塚古墳で,床面積は約28uあり,この時代では最大規模の古墳となるようです。被葬者は特定されてはいませんが,渡来系氏族の東漢(やまとのあや)氏の一族の墓とする説があります。

石舞台古墳 石室内部


石舞台古墳全景
石舞台古墳1周

横穴式石室の石棺 


藤ノ木古墳の家形石棺((復元))
(奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺字藤ノ木)
 
こうもり塚古墳 
(岡山県総社市)
石室全体を多くの石が囲んでいます。
入り口(左写真手前)−羨道(左写真)−玄室(右写真)が見えます。
 
 朱に塗られた石室− 桜井茶臼山古墳
 
   奈良県桜井市外山にある桜井茶臼山古墳(さくらいちゃうすやまこふん)は古墳時代前期(3世紀後半〜4世紀)に築かれた大型の前方後円墳で全長約200m,後円部径110m,その高さは24mあります。また,竪穴式の石室が残っています。2009年発掘調査が行われ,10月に石室内部が公開されました。
 石室は南北に細長く,その長さは約11m,幅約5m,深さは約3m。 石室内には木棺が置かれていましたが,発掘時は原形をとどめてはいなかったようです。石室内部は,水銀朱が塗られており全体に赤く見えます。また,同様に水銀朱が全体に塗られた天井石が12枚あり,埋葬時は木棺を安置した後,これらの石で石室を閉じたものと考えられます。
   最大の天井石は長さ約2.8m,幅約0.8m,厚さ27p,推定重量は約1.5tであります。また,これらの天井石はベンガラを練り込んで赤色にした粘土によって覆われていたことがわかりました。この粘土には丸い形のくぼみがあり,丸棒で粘土を固めたものと考えられています。
   石室付近からは土器も発見されており,土に埋まった形で 公開されていました。
 
 なお,この古墳から銅鏡の破片が大量に見つかったと奈良県立橿原考古学研究所が2010年1月に発表しました。完全な形では発見されていないのですが,81面以上が副葬されていたと発表されました。それらの中には,邪馬台国の女王卑弥呼が中国の魏から贈られたとされる「正始元年(240年)」の年号入りの鏡と同じ鋳型で作られたと考えられる三角縁神獣鏡の破片も含まれています。これは邪馬台国=近畿説をさらに固めるものとして注目されています。
前方後方墳の石室をおおっている土の様子を観察することができる全国でも珍しい展示施設があります。
質の違う土を運び,崩れないように突き固めて造られている様子が観察できます。

山代二子塚古墳(島根県松江市山代町)

石棺
(せきかん)

 よく見る石棺は家形石棺といいます。近畿地方で多く見られます。蓋(ふた)部が家の屋根の形をしており,縄を掛けるための突起(縄かけ突起)があります。石棺の多くは凝灰岩(ぎょうかいがん)で造られ,この石はやわらかいため比較的加工しやすいのですが,ややもろいのが欠点です。
 その他,箱式石棺,割竹形石棺,舟形石棺,長持形石棺などの種類があります。
舟形石棺
辻古墳(熊本県山鹿市)
石を二つに割って,中をくりぬいて合わせた物(古墳時代の初めには,丸太をくりぬいて作った木棺が見られました。)
箱石石棺
大谷古墳(京都府中郡大宮町)
板石を組合わせて作った石棺。土塁を造って側板を立て,ふたをしてから土をかぶせました。
長持形石棺
宮山古墳(室の大墓:奈良県御所市室)
長持ちとは服などを入れるためのふた付きの長方形の箱のこと。わずかに突起が見えます。

副葬品(ふくそうひん)

 小畑古墳からは馬具類,玉類,耳環,鉄製のやじり,鉄くぎ,須恵器などが出土しています。

 石棺の中には鏡(力の強さ,権威を示す),玉類(祭祀の道具),剣(武器)が納められているのが一般的で,鏡−八咫鏡(やたのかがみ),玉−八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま),剣−天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ:草薙剣)の三種の神器に相当します。

 奈良県生駒郡斑鳩町にある藤ノ木古墳には朱塗りの家形石棺の中に金銅製馬具や鉄製のやじり,鉄刀なども納められていました。
埴輪(はにわ)
 埴輪は素焼の焼き物で,古墳の上に並べて置かれていました。円筒埴輪と形象埴輪の2種類に区分されます。埴輪の形から当時の人々の生活を知ることが出来ます。衣服,髪型,武具,農具,建て物,動物,船などの形が多く見られます。出現順序として,古墳時代の初期に円筒形の埴輪が置かれ,その後,鳥や人の形の埴輪が作られたと考えられています。

円筒埴輪(複製品)

ナガレ山古墳(奈良県北葛城郡河合町)
古墳全景
円筒埴輪の配列

五色塚古墳(兵庫県神戸市)

円筒埴輪4・5本ごとに1本の
朝顔型円筒埴輪が置かれています。
(複製品)

武人埴輪(レプリカ)
形象埴輪など
宝塚1号墳の船形埴輪

宝塚古墳公園に復元展示
(三重県松阪市宝塚町,光町)

武装石人(ぶそうせきじん)
石人山古墳
(福岡県八女郡広川町)

 九州では,大和政権に対抗して,埴輪で
はなく石人と呼ばれる石の像が並べられ
た古墳を多く見ることができます。特に福岡
県の岩戸山古墳の別区にある石人・石馬
像は有名です。(下段 九州の古墳参照)

靱(ゆぎ)形埴輪
宮山古墳
(奈良県御所市)

武具の中でも奈良県御所市の宮山古墳に
配置してあった靱(ゆぎ)形埴輪はその
大きさが1.43mあり,また大変細かな
模様も表現されていました。現在は墳丘上
に複製品が置かれています。

日本最大級の埴輪工場
新池ハニワ工場公園(しんいけはにわこうばこうえん)
大阪府高槻(たかつき)市上土室1
 大阪府北部,高層住宅が林立する中にかつて大王の墓の周りに置かれていた埴輪を作っていた工場跡の史跡が高槻市にあります。

 新池遺跡には,現在埴輪を焼く窯(かま)が18基,作業場(工房:こうぼう)跡3棟,竪穴(たてあな)住居跡14棟が確認されています。


 ここで焼かれた埴輪は,近くの太田茶臼山古墳や今城塚古墳(どちらも継体天皇陵とされる)などに供給していたと考えられています。

 今城塚古墳からは,日本最大とされる家形埴輪が出土しており,20種類のレプリカがハニワ工場公園に置かれています。

 公園内には縦長に植えられた低樹木帯が見られますが,これは発見された窯跡の位置を示しています。
 1号と2号ハニワ窯が復元展示されています。下部は燃やすための木を入れるところ,上部は煙が出る穴の様子がよく分かります。

 ハニワ工場館では,発掘された窯の様子が細部にわたりよく観察できます。(開館 午前10時〜午後5時 自由入場・見学可)
中にある西暦530年頃に築造されたと考えられている18号窯は,長さ8.2m,幅2.5mあり,発掘されたままの姿を見ることができます。
 作業場(工房)跡は3棟あり,そのうち2棟が復元されています。



整備された古墳

歴史の教科書などで紹介されている主な古墳

五色塚古墳兵庫県神戸市
 どの古墳も今は木や草で覆われその形もはっきりしないこともありますが,兵庫県神戸市にある五色塚古墳は古墳全体が石で覆われきれいに整備してあり,前方後円墳という形をいろいろな角度から眺めることができます。これらの葺き石は,古墳が常に風雨にさらされるため,崩れることを防止する目的で敷かれています。五色塚古墳は瀬戸内海に面して存在する古墳なので,航行する船からもその偉容がよく見えたと思われます。
 この古墳は,全長194m,前方部幅81m,高さ11.5m,後円部直径125m,高さ18mで別名は千壺(せんつぼ)古墳といいます。
 古墳の頂上部からは明石海峡・瀬戸大橋や淡路島が見えます。このような贅沢な場所に眠る主は相当に大きな力を持っていたのでしょう。古墳のくびれの部分で祭祀に使われる道具類が発見されていることから,こここそが重要な場所と考えられます。造出(つくりだし)と呼ばれる部分は円形と方形の接するくびれた部分にくっついていることが多いのですが,この古墳は少し離して設けられています。この方形の部分は祭祀を行う場所であろうから,古代人は古墳全体が見える側面にこれを設けました。
 
ナガレ山古墳(奈良県北葛城郡河合町佐味田)
 
馬見古墳群(奈良県北葛城郡河合町)にある5世紀頃造られた大型前方後円墳。
全長105m,前方部幅70m,後円部径65m
墳丘に円筒埴輪が置かれていました。被葬者は不明。
(古墳図は現地の案内板を部分撮影)



木棺を粘土でおおった粘土槨(ねんどかく:箱型木棺)が前方部にある埋葬施設。

円筒埴輪,形象埴輪,石製品,玉類,鉄製品,土師器,須恵器などが出土しました。

古墳全景


最も古い古墳

纏向(巻向:まきむく)古墳群
(奈良県桜井市)

 昭和時代まで箸墓古墳が最も古い古墳とされていましたが,平成元年の纏向(まきむく)石塚古墳の発掘によってそれが書き換わりました。この古墳を含む奈良県桜井市巻向地区は最古の神社といわれる大神(おおみわ)神社の西にあり,大和王権が誕生した地でもあるのです。
 邪馬台国が小国をまとめたのが180年代とされるので,そのすぐ後に大和王権が誕生していたことになります。

景行天皇日代宮跡近くから纏向遺跡を見る(左端が景行天皇陵)


景行天皇陵(左端)から三輪山(中央)を見る。右端に箸墓古墳が見えます。
 

   

箸墓古墳
 墳丘長約280m,纏向古墳群の中でも代表的な古墳で,孝霊天皇の娘,倭迹迹日百襲姫命(やまととびももそひめのみこと)の墓とされています。また,邪馬台国が畿内にあったとされる説のもとになっている古墳です。それは,次のような説にもとづいています。
@この古墳の調査によって,3世紀後半の築造であることがわかりました。
A『魏志倭人伝』の中に,卑弥呼の墓について「徑百餘歩(直径は百歩余り)」という記述があり,百餘歩は約150m,箸墓古墳の後円部は桜井市教育委員会発掘調査資料によれば約155mで,規模がほぼ一致します。
これらのことから,この古墳は卑弥呼の墓である可能性があります。
 

  
纏向石塚古墳

全長93mの前方後円墳
前方部が低くて小さい纏向型とよばれる独特の形をしています。
平成元年の調査によって,200年ごろ築造されたのではないかとされ,最古の古墳に属します。
纏向勝山古墳
全長110mの前方後円墳
濠の痕跡を残しています。
纏向矢塚古墳
全長96mの前方後円墳
東田大塚古墳
 全長約96mの前方後円墳
  

   

石囲木槨


ホケノ山古墳
全長90mの帆立貝式前方後円墳
240年ごろの築造

この古墳からは石囲木槨(いしがこいもっかく)という埋葬施設が発見され,復元設置されています。これは朝鮮半島南部で見られる形式で,このことから,大和王権が朝鮮半島とつながっていたことがわかります。
   

    
 以前新聞で奈良県天理市にあるマバカ古墳が最古級の古墳ではないかという記事が出ました。全長約74mのこの古墳から土器や堀状区画が見つかり,調査によって3世紀前半に築造された可能性が高くなったためです。この古墳の近くには箸墓古墳や石塚古墳を含む纏向古墳群があります。日本最古級の古墳はこの辺りが有力そうです。

マバカ古墳の石敷き
  
九州の古墳
  

西都原古墳群←→鬼の窟古墳(宮崎県西都市大字三宅西都原)
全国でも珍しく,二重の堀をもつ直径37mの円墳
*画像の上にマウスポインタをのせると画像が替わります。
 岩戸山古墳,チブサン古墳などを代表とする九州の古墳には石人像や装飾など独特の特徴を持つ古墳が多くあります。石人とは人の形をした石像物であり,装飾とは奈良県の高松塚古墳やキトラ古墳に代表される石室や石棺内部に絵や模様が描かれた古墳のことを言います。
 また九州地方には,大小300基以上の古墳がある八女(やめ)古墳群や宮崎県の西都原(さいとばる)古墳群のような大古墳群も存在します。
 
九州地方と大和政権
 九州地方は早くから稲作が行われ,小さなムラがたくさんできていました。やがて,それらが戦いや話し合いによって合併を繰り返し,クニへと発展していきます。それらの中には中国や朝鮮半島と独自の交流をするクニも出現してきました。クニはさらに合併し,やがて大きなまとまりとなって「国」を形成するようになります。「奴国」や「邪馬台国」という名が中国の文献に登場していることがその証となります。3世紀の終わり頃から,各地の首長や豪族たちは「古墳」と呼ばれる墓を造るようになりました。その大きさは力の象徴であり,権力の強い者は大きな古墳を造っていました。それらの中には前方後円墳と呼ばれる形もあり,これらは中央の影響を受けた古墳であると考えられています。例えば,熊本県の江田船山(えたふなやま)古墳は5世紀後半〜6世紀に築造された前方後円墳で,石室には畿内で多く見られる家形石棺が納められています。また,古墳から出土した鉄剣には「治天下獲□□□鹵大王・・・・」と金象嵌(ぞうがん)文字が彫られていました。そして,これと同じ「獲加多支鹵(ワカタケル)大王」という文字が彫られた鉄剣が埼玉県行田市の稲荷山(いなりやま)古墳から出土しています。(「獲加多支鹵(ワカタケル)」は雄略天皇を意味し,「辛亥年」(471年)に「乎獲居(オワケ)」という人物によって作られたことがわかります。)同じ大王の名が彫られた鉄剣が関東と九州で発見されたと言うことは,大和政権によって全国統一がされていたことを意味します。5世紀末において,九州地方は大和政権の勢力下にあったと考えられています。
江田船山古墳(熊本県菊水町江田)
*画像の上にマウスポインタをのせると石室画像に替わる。
 
石人像と岩戸山古墳
(福岡県八女市吉田)

 古墳はその被葬者(ひそうしゃ:古墳に葬られた人)を特定することは難しいとされますが,岩戸山古墳は筑紫君磐井の墓であることがわかっています。磐井は6世紀前半に反乱を起こし,朝廷に鎮圧されました。

石人・石馬・石盾・武装石人頭部(複製品)
 筑後国風土記に,古墳の東北に隣り合わせて一辺が約43mの正方形の区画があり,これを「別区」ということが書かれています。ここは衙頭(がとう)とよばれ,. 政事をしたり(政所),祭事(祭儀)を行ったりする所でした。この区画内に,阿蘇凝灰岩で造られた石人,石馬などの石造物が並べられていました。他の古墳に見られる埴輪は土を焼いて作りますが,石人は石をほぼ実物大に削って作ったものです。武装石人,裸体石人,馬,鶏,水鳥,靱,盾,刀など多くの種類があります。これらの中には頭部が破損している物が多く見られます。磐井の乱で逃亡した磐井がなかなか見つからないので,大和政権の軍がいらだち,石人・石馬の頭部を破壊して落としたからと言われています。
 
磐井の乱
 日本書紀に継体天皇21年(527)の磐井の乱のことが書かれています。
 6月3日,大和政権は近江毛野臣(おうみのけなのおみ)に兵6万人を引き連れて朝鮮半島の任那(みまな)へ行かせ,新羅に奪われた地を奪還させようとしました。この時期,筑紫国造磐井(つくしのくにつくりいわい)が大和政権の圧政に対して不満を抱き,朝廷に反逆しようとしていました。この情報を得た新羅はひそかに磐井に賄路(わいろ)を送って,毛野臣の軍を妨害することを勧めました。そこで磐井は肥前(ひぜん)・肥後(ひご)・豊前(ぶぜん)・豊後(ぶんご)など国をおさえて一大勢力をもちました。海上は百済や新羅,任那,高麗など朝鮮半島から朝廷への貢ぎ物を運ぶ船を略奪し,陸上は毛野臣の軍を妨害し,「お前は昔の仲間で,偉くなったからと言って,今の俺を従わせることはできない。」と言って押し戻しました。朝廷はこの出来事を一大事と考え,「磐井打倒の将軍となる者はいないか」と尋ねたら,物部大連麁鹿火(もののべのおおむらじあらかい)が適任であることがわかりました。8月1日,天皇は早々に麁鹿火召して,「筑紫の国で磐井が朝廷に叛いているからすぐに討て。筑紫より西の国はお前が統治するように。」と,将軍としての全権を麁鹿火に授けて磐井の征伐を命じました。11月11日,三井郡で激戦の後,磐井は朝廷軍に敗れて斬られました。(筑紫国風土記逸文では,磐井は豊前国上膳県に逃亡したとされます。)12月,磐井の子の葛子(くずこ)は磐井が独自の外交の重要拠点としていた糟屋(かすや)の屯倉(みやけ)を献上して,父の罪に連座して罰せられることを免れました。
(磐井に関する日本書紀の記述には諸説あって,磐井が大和政権での役職を示す「国造」だったか?磐井は中央に反逆したのか?など疑問があります。)
 磐井の乱の後の535年(安閑天皇2年)大和政権は筑紫穂波,鎌,豊国湊崎(みさき),桑原,肝等(かぬと)などに屯倉をおき,九州を掌握しました。 
 
九州は装飾古墳の宝庫
 磐井の乱の後,石人・石馬のような石造物を並べる古墳に代わって,筑後川や遠賀川流域を中心にした装飾古墳の時代が到来します。
 熊本県を流れる菊池川,この流域の古墳の特色は,石室や石棺内が装飾された古墳が分布していることです。装飾古墳に分類される古墳は東北地方から九州地方まで全国で約480基ありますが,熊本県にはそのうちの40%にあたる約190基が存在します。そして,その半数以上が菊池川及びその支流域にあります。熊本県山鹿市には,チブサン古墳,オブサン古墳,鍋田横穴墓群などがあり,どれも国指定の史跡となっています。
 内部が装飾されたり,壁画が描かれた古墳は中国や朝鮮半島にも見られます。大陸の文化・技術として5世紀ごろに日本に輸入され,7世紀には全国に広まっていたと考えられています。(直線と弧線-曲線が組み合わされた幾何学的文様は直弧文(ちょっこもん)とよばれています。)
 これらの古墳が存在する意味はいくつかあります。
 ・暗い石室内を明るく装飾した
 ・呪術的な意味がある
 ・被葬者の霊を運ぶ意味がある
 ・被葬者の肖像画をあらわす
l ・被葬者の生前の事件・生活などをあらわす
 ・被葬者の周辺の自然環境をあらわすもの
 ・日月星辰・四神などの大陸の思想や図柄(以上7行は王塚装飾古墳館 展示パネルより引用)
 
 
装飾古墳
 王塚古墳(福岡県嘉穂郡桂川町)

王塚古墳
 王塚古墳は6世紀中ごろに造られた2段築成前方後円墳。墳丘を復原すると,全長約86m,後円部径約56m,前方部幅約60m,後円部高約9.5mの遠賀川流域で最大の古墳です。

内部の壁画
 石室内ほぼ全面に,赤,黄,緑,黒,白などの色を使って靫(矢筒),盾,騎馬,星・双脚輪状文,わらび手文,三角文などの文様が描かれています。
(古墳の案内板を撮影しました)
装飾古墳 石人山古墳(福岡県八女郡広川町)
 5世紀に造られた全長107mの前方後円墳。墳丘上に武装石人が保管されています。

武装石人(ぶそうせきじん)
身長約2m,鎧と兜を身につけています。比較的加工しやすい阿蘇溶結凝灰岩で造られています。

家形石棺
凝灰岩の横口式家型石棺

石棺のふたにつけられた円紋と直弧紋(ちょっこもん)は浮き彫りされています。九州では最も古い装飾古墳と言われています。
鍋田横穴群(熊本県山鹿市大字鍋田字東)
 菊池川の支流の岩野川沿いにあり,岩山に四角い穴がいくつも開けられた大横穴群が「鍋田横穴群」。 鍋田横穴群の横穴は,以前は住居跡と思われていたらしい。古墳は豪族とその家族の墓ではないかと推測します。
鍋田横穴群(熊本県山鹿市大字鍋田)

鍋田横穴群第27号墓
 鍋田横穴群第27号墓には外壁となっている左側の石に人や弓矢などが浮き彫りされているのが見えます。現在は崩壊しているが,入り口右側の石にも人や太刀の絵があったことが江戸時代の記録に残っています。
 
装飾古墳 チブサン古墳(熊本県山鹿市城字西福寺)

チブサン古墳石棺レプリカ
赤・黒・白の3色で描かれている
 チブサン古墳は全長約45mの前方後円墳。
 名前の由来は,石室に置かれた厨子形石棺(山鹿市博物館の学芸員の話では,本来あるべき石棺の側板の1枚はなく,そのため家形石棺のように見えるが厨子形石棺とも呼ばれている)の内部に2つの目のような模様が描かれているためです。この模様が乳房(ちぶさ)に見えることから「チブサン」と呼ばれていました。また,この古墳は比較的保存状態がよいとのことで,1日2回のみ時間を決めて内部の見学をすることが出来ます。見学をするには事前に博物館に連絡をします。



石棺の側面に描かれた冠をつけた人物壁画

オブサン古墳
直径約22m,高さ約4mの突堤付き円墳
 巨石で造られた横穴式石室があります。その内部を自由見学できます。仕切り石に連続三角文などが描かれています。
 九州は,古墳だけを見ても大和政権が全国を支配しようとしていた時代に大陸や朝鮮半島と交流し,独自の文化を築きあげていた「国家」ともいえる地域でした。石人・石馬,あるいはその後に続く独特の装飾古墳は,中央政権に対抗している姿を見ることが出来ます。 
  
  

こんな古墳がありました
ここは長野県飯田市座光寺にある元善光寺というお寺です。長野市の善光寺とも深い関係があります。この寺の境内の西方にある麻績(おみ)の里 舞台桜は大変有名なしだれ桜ですが,さらに西方に大変珍しい桜を見ました。

下の桜の木は古墳の上に根をはっています。
この古墳は「石塚第1号墳」で6世紀後半の築造と推定されている円墳です。
その規模は,径21.8m、高さ1.8〜3.3mで 横穴式石室があります。ここからは円筒埴輪や須恵器などが出土しました。

東方から古墳上の桜を見る

石室入り口
石室は外観からは想像できないくらい広く,長さ8.5m,高さ2.8mです。
中に入ると5個の大きな天井石を見ることができます。しかし,桜の根はありません。
石室全体を包み込むように根がはっているようです。


100mを超える巨大古墳100
順位 古 墳 名 所 在 地 時期 区 分 墳丘長(m) 参考
1 大仙陵古墳
(だいせんりょう)
大阪府堺市大仙町            中期 前方後円墳 486 仁徳天皇陵
2 誉田御廟山古墳
(こんだごびょうやま)
大阪府羽曳野市誉田         中期 前方後円墳 425 応神天皇陵
3 石津ヶ丘古墳(履中陵古墳) 大阪府堺市石津ケ丘      中期 前方後円墳 360 履中天皇陵
4 造山古墳
(つくりやま)
岡山県岡山市新庄下            中期 前方後円墳 360
5 河内大塚古墳
(かわちおおつか)
大阪府松原市西大塚・羽曳野市南恵我之荘  後期 前方後円墳 330
6 見瀬丸山古墳
(みせまるやま)
奈良県橿原市見瀬町・五条野町・大軽町  後期 前方後円墳 310
7 渋谷向山古墳
(しぶたにむかいやま)
奈良県天理市渋谷町         前期 前方後円墳 300 景行天皇陵
8 土師ニサンザイ古墳
(はぜ)
大阪府堺市百舌鳥西之町      中期 前方後円墳 290
9 作山古墳
(つくりやま)
岡山県総社市三須             中期 前方後円墳 286
仲ツ山古墳
(なかつやま)
大阪府藤井寺市沢田          中期 前方後円墳 286 仲津媛皇后陵
11 箸墓古墳
(はしはか)
奈良県桜井市箸中 前期 前方後円墳 278 倭迩連日百襲姫大市墓
12 五社神古墳
(ごさし)
奈良県奈良市山陵町           前期 前方後円墳 275 神功皇后陵
13 ウワナベ古墳 奈良県奈良市法華寺町         中期 前方後円墳 255
14 市庭古墳
(いちば)
奈良県奈良市佐紀町            中期 前方後円墳(復元) 250 平城天皇陵
メスリ山古墳 奈良県桜井市高田・上之宮        前期 前方後円墳 250
16 行燈山古墳
(あんどんやま)
奈良県天理市柳本町           前期 前方後円墳 242 崇神天皇陵
岡ミサンザイ古墳
(おか)
大阪府藤井寺市藤井寺 後期 前方後円墳 242 仲哀天皇陵
18 室宮山古墳
(むろみややま)
奈良県御所市室    中期 前方後円墳 238
19 市野山古墳
(いちのやま)
大阪府藤井寺市国府 中期 前方後円墳 230 允恭天皇陵
20 宝来山古墳
(ほうらいさん)
奈良県奈良市尼ケ辻町          前期 前方後円墳 227 垂仁天皇陵
21 太田茶臼山古墳
(おおたちゃうすやま)
大阪府茨木市太田          中期 前方後円墳 226 継体天皇陵
22 墓山古墳
(はかやま)
大阪府羽曳野市白鳥             中期 前方後円墳 225
23 西殿塚古墳
(にしとのづか)
奈良県天理市中山町 前期 前方後円墳 219 手自香皇女会田陵
ヒシアゲ古墳 奈良県奈良市佐紀町          中期 前方後円墳 219 磐之媛皇后陵
25 佐紀石塚山古墳
(さきいしづかやま)
奈良県奈良市山陵町字御陵前 前期 前方後円墳 218 成務天皇陵
26 河合大塚山古墳 奈良県北葛城郡河合町西穴闇字大塚 中期 前方後円墳 215
27 築山古墳
(つきやま)
奈良県大和高田市築山 中期 前方後円墳 210
西陵古墳
(さいりょう)
大阪府泉南郡岬町淡輪 中期 前方後円墳 210
太田天神山古墳
(おおたてんじんやま)
群馬県太田市内ケ島          中期 前方後円墳 210
30 津堂城山古墳
(つどうしろやま)
大阪府藤井寺市津堂 前期 前方後円墳 208
31 桜井茶臼山古墳
(とやまちゃうすやま)
奈良県桜井市外山           前期 前方後円墳 207
佐紀陵山古墳
(さきりょうやま)
奈良県奈良市山陵町 前期 前方後円墳 207 日葉酸媛皇后陵
33 コナベ古墳 奈良県奈良市法華寺北町          中期 前方後円墳 204
巣山古墳
(すやま)
奈良県北葛城郡広陵町三吉          前期 前方後円墳 204
35 茶臼山古墳 大阪府大阪市天王寺区茶臼山町 中期 前方後円墳 200
摩湯山古墳
(まゆやま)
大阪府岸和田市摩湯町          前期 前方後円墳 200
神明山古墳
(しんめいやま)
京都府竹野郡丹後町字宮 前期 前方後円墳 200
38 網野銚子山古墳
(あみのちょうしやま)
京都府竹野郡網野町字網野      中期 前方後円墳 198
39 島の山古墳
(しまのやま)
奈良県磯城郡川西町唐院          前期 前方後円墳 195
川合大塚山古墳
(かわいおおつかやま)
奈良県北葛城郡河合町川合       中期 前方後円墳 195
41 五色塚古墳
(ごしきづか)
兵庫県神戸市垂水区五色山         前期 前方後円墳 194
42 両宮山古墳
(りょうぐんざん)
岡山県赤磐郡山陽町穂崎・和田       中期 前方後円墳 192
43 今城塚古墳
(いましろづか)
大阪府高槻市郡家新町           後期 前方後円墳 190
前の山古墳
(まえのやま)
大阪府羽曳野市軽里           中期 前方後円墳 190 日本武尊白鳥陵
45 御墓山古墳
(みはかやま)
三重県上野市佐那具天王下         中期 前方後円墳 188
46 百舌鳥御廟山古墳
(もずごびょうやま)
大阪府堺市百舌鳥本町        中期 前方後円墳 186
舟塚山古墳
(ふなづかやま)
茨城県石岡市北根本            中期 前方後円墳 186
48 西山古墳
(にしやま)
奈良県天理市仙之内町            前期 前方後方墳 180
49 女狭穂塚古墳
(めさほづか)
宮崎県西都市大字三宅          中期 前方後円墳 177
50 浅間山古墳
(せんげんやま)
群馬県高崎市倉賀野町           前期 前方後円墳 173
51 淡輪ニサンザイ古墳
(たんのわ)
大阪府泉南郡岬町淡輪      中期 前方後円墳 172 五十瓊敷入彦宇度墓
52 百舌鳥大塚山古墳
(もずおおつかやま)
大阪府堺市上野芝町         中期 前方後円墳 168
雷神山古墳
(らいじんやま)
宮城県名取市植松宇山          前期 前方後円墳 168
54 男狭穂塚古墳
(おさほづか)
宮崎県西都市大字三宅         中期 前方後円墳   167以上
55 甲斐銚子塚古墳
(かいちょうしづか)
山梨県東八代郡中道町下曾根 前期 前方後円墳 167
56 金蔵山古墳
(かなくらやま)
岡山県岡山市沢田             前期 前方後円墳 165
別所(円福寺・宝泉)茶臼山古墳(べっしょちゃうすやま) 群馬県太田市別所           前期 前方後円墳 165
白石稲荷山古墳 群馬県藤岡市白石           中期 前方後円墳 165
59 古室山古墳
(こむろやま)
大阪府藤井寺市古室            中期 前方後円墳 160
椿井大塚山古墳
(つばいおおつかやま)
京都府相楽郡山城町椿井        前期 前方後円墳 160
61 久津川車塚古墳
(くつかわくるまづか)
京都府城陽市平川           中期 前方後円墳 156
62 乳の岡古墳
(ちのおか)
大阪府堺市石津町             前期 前方後円墳   推定155
63 野中宮山古墳
(のなかみややま)
大阪府藤井寺市野中 中期 前方後円墳 154
64 櫛山古墳
(くしやま)
奈良県天理市柳本町            前期 双方中円墳 152
65 断夫山古墳
(だんぷやま・だんぷさん)
愛知県名古屋市熱田区旗屋町        後期 前方後円墳 151
梵天山古墳
(ぼんてんやま)
茨城県常陸太田市島町           前期 前方後円墳 151
67 唐仁大塚古墳
(とうじんおおつか)
鹿児島県肝属郡東串良町新川西      中期 前方後円墳   約150
神宮寺山古墳
(じんぐうじやま)
岡山県岡山市中井町 前期 前方後円墳   約150
湊茶臼山古墳
(みなとちゃうすやま)
岡山県岡山市湊            前期 前方後円墳 150
佐古田堂山古墳
(さこたどうざん)
岡山県岡山市平山          中期 前方後円墳 150
松岳山古墳
(まつおかやま)
大阪府相原市国分市場          前期 前方後円墳   約150
玉手山七号墳 大阪府柏原市旭ヶ丘           前期 前方後円墳   約150
73 掖上鑵子塚古墳
(わきがみかんすづか)
奈良県御所市柏原          中期 前方後円墳 149
74 田出井山古墳
(たでいやま)
大阪府堺市北三国ヶ丘町        中期 前方後円墳 148 反正天皇陵
75 イタスケ古墳 大阪府堺市百舌鳥本町         中期 前方後円墳 146
七輿山古墳
(ななこしやま)
群馬県藤岡市上落合           後期 前方後円墳 146
77 杉山古墳
(すぎやま)
奈良県奈良市大安寺町           中期 前方後円墳   約145
ハタゴ塚古墳 奈良県天理市萓生町          前期 前方後方墳 約 145
蛭子山一号墳
(えびすやま)
京都府与謝郡加悦町明石        前期 前方後円墳 145
80 岩戸山古墳
(いわとやま)
福岡県八女市吉田            後期 前方後円墳 144
内裏塚古墳
(だいりづか)
千葉県富津市二間塚           中期 前方後円墳 144
82 小造山古墳
(こづくりやま)
岡山県総社市下林・岡山市新庄下     中期 前方後円墳   約142
83 馬塚古墳
(うまづか)
三重県名張市新田             中期 前方後円墳 141
84 生目三号墳
(いきめ)
宮崎県宮崎市大字跡江          前期 前方後円墳   約140
東大寺山古墳
(とうだいじやま)
奈良県天理市櫟本町          前期 前方後円墳 140
狐井城山古墳
(きついしろやま)
奈良県香芝市狐井・良福寺       後期 前方後円墳 140
梅山古墳
(うめやま)
奈良県高市郡明日香村平田       後期 前方後円墳 140 欽明天皇陵
屋敷山古墳
(やしきやま)
奈良県北葛城郡新庄町新庄        中期 前方後円墳 140
壇場山古墳
(だんじょうざん)
兵庫県姫路市御国野町国分寺       中期 前方後円墳 140
雲部車塚古墳
(くもべくるまづか)
兵庫県多紀郡篠山町東本庄       中期 前方後円墳 140
昼飯大塚古墳
(ひるいおおつか)
岐阜県大垣市昼飯町           中期 前方後円墳  約140
六呂瀬山一号墳
(ろくろせやま)
福井県坂井郡丸岡町上久米田      前期 前方後円墳 140
秋常山一号墳
(あきつねやま)
石川県能美郡寺井町秋常         前期 前方後円墳 140
芦間山古墳
(あしまやま)
茨城県下館市徳持             前期 前方後円墳 140
95 富田茶臼山古墳
(とみたちゃうすやま)
香川県大川郡大川町富田        中期 前方後円墳 139
東殿塚古墳
(ひがしとのづか)
奈良県天理市中山町 前期 前方後円墳 139
97 浦間茶臼山古墳 岡山県岡山市浦間          前期 前方後円墳 138
鳥屋ミサンザイ古墳
(とりや)
奈良県橿原市鳥屋町       後期 前方後円墳 138 宣化天皇陵
二子山古墳
(ふたごやま)
埼玉県行田市大字埼玉          後期 前方後円墳 138
100 新山古墳
(しんやま)
奈良県北葛城郡広陵町大塚         前期 前方後方墳 137
倉塚古墳
(くらづか)
奈良県北葛城郡河合町佐味田        中期 前方後円墳 137
101 横瀬大塚山古墳
(よこせおおつかやま)
鹿児島県曾於郡大崎町横瀬       中期 前方後円墳 135
尾上車山古墳
(おのえくるまやま)
岡山県岡山市尾上花尻        前期 前方後円墳 135
池田古墳
(いけだ)
兵庫県朝来郡和田山町平野         中期 前方後円墳 135
久米田貝吹山古墳
(くめだかいぶきやま)
大阪府岸和田市池尻町       前期 前方後円墳 135
安土瓢箪山古墳
(あづちひょうたんやま)
滋賀県蒲生郡安土町桑実寺      前期 前方後円墳 135
吾妻古墳
(あずま)
栃木県下都賀郡壬生町藤井         後期 前方後円墳 135
水戸愛宕山古墳
(みとあいごやま)
茨城県水戸市愛宕町         中期 前方後円墳 135
古墳に関して次のホームページでも調べることができます
堺市ホームページ
大仙陵古墳の航空写真は(株)パスコ インフォマッピングの許可を得てinfo-mappingより転載しました。 
表の作成にあたって「文春新書 古墳とヤマト政権」(白石太一郎 文藝春秋)を参考にした。
ベスト10の古墳測定数値や古墳名の読みについては,上記のホームページを参考にしました。
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